【こわい川柳 第三十五話】産院の窓の向こうのオズの国 なかはられいこ
- 2015/06/19
- 00:58
産院の窓の向こうのオズの国 なかはられいこ
【抑圧とドロシー・ゲイル】
わたしがたびたび考えているなかはらさんの句にこんな句があるんです。座談会で穂村弘さんや倉本朝世さんも取り上げられていた句です。
えんぴつは書きたい鳥は生まれたい なかはられいこ
さいきんふっと思ったのは、これは《抑圧》の句なんじゃないかとおもうんですね。
えんぴつは書くことができるし、鳥は生まれることができる。これは、あたりまえのことですよね。
で、たとえばもしこの句が「えんぴつは書けない鳥は生まれない」だったら、それはあらかじめ機能を奪われている《失調》の句なんですよ。
ところが、このなかはらさんの句は「えんぴつ」や「鳥」が主体的に〈欲望〉している。本来はできるはずだった〈ごくふつう〉のことを。
これは、《抑圧》なんです。
たとえば、ある思い出があって、それをじぶんは知っているけれど、思い出さないようにしている。
これは、抑圧なんですよ。
そうできる、んだけれども、それができない状態。しかし、本来的にはできることなので、したがっている状態。
で、掲句も実は《抑圧》だとおもうんですね。
産院の窓のむこうにオズの国がある(ちなみに映画『オズ』ではドロシーが精神病院に入れられています)。〈産院〉というのは、ひとつの抑圧装置です。ある意味では、〈こうしたい〉とおもっていても、それをしてはいけない、そこにいなければならない抑圧装置として働いている。でも、〈こうしたい〉はオズの国のように窓のむこうにある。
みえるけれど、わかっているけれど、できない。
だから、たとえば、なかはらさんの川柳のなかでは、なにかをうたうこと・詠むことということが、抑圧を構造化していくことなんじゃないかというテーマがあるようにもおもうのです。舌の抑圧もそうです。
〈そうしよう〉として、〈そうし〉ないように、動く。
五月闇またまちがって動く舌 なかはられいこ
【抑圧とドロシー・ゲイル】
わたしがたびたび考えているなかはらさんの句にこんな句があるんです。座談会で穂村弘さんや倉本朝世さんも取り上げられていた句です。
えんぴつは書きたい鳥は生まれたい なかはられいこ
さいきんふっと思ったのは、これは《抑圧》の句なんじゃないかとおもうんですね。
えんぴつは書くことができるし、鳥は生まれることができる。これは、あたりまえのことですよね。
で、たとえばもしこの句が「えんぴつは書けない鳥は生まれない」だったら、それはあらかじめ機能を奪われている《失調》の句なんですよ。
ところが、このなかはらさんの句は「えんぴつ」や「鳥」が主体的に〈欲望〉している。本来はできるはずだった〈ごくふつう〉のことを。
これは、《抑圧》なんです。
たとえば、ある思い出があって、それをじぶんは知っているけれど、思い出さないようにしている。
これは、抑圧なんですよ。
そうできる、んだけれども、それができない状態。しかし、本来的にはできることなので、したがっている状態。
で、掲句も実は《抑圧》だとおもうんですね。
産院の窓のむこうにオズの国がある(ちなみに映画『オズ』ではドロシーが精神病院に入れられています)。〈産院〉というのは、ひとつの抑圧装置です。ある意味では、〈こうしたい〉とおもっていても、それをしてはいけない、そこにいなければならない抑圧装置として働いている。でも、〈こうしたい〉はオズの国のように窓のむこうにある。
みえるけれど、わかっているけれど、できない。
だから、たとえば、なかはらさんの川柳のなかでは、なにかをうたうこと・詠むことということが、抑圧を構造化していくことなんじゃないかというテーマがあるようにもおもうのです。舌の抑圧もそうです。
〈そうしよう〉として、〈そうし〉ないように、動く。
五月闇またまちがって動く舌 なかはられいこ
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