【感想】ひらくもののきれいなまひる 門、手紙、脚などへまた白い手が来る 大森静佳
- 2014/06/04
- 07:31
ひらくもののきれいなまひる 門、手紙、脚などへまた白い手が来る 大森静佳
【むすんで(ならべて)ひらいて】
「門、手紙、脚」が並列化されていることに注目してすこし読んでみたいとおもいます。
それぞれのひらかれた後のアクションをまとめると次のようになるのではないかとおもいます。
門=ひらいて・入るもの(通過するもの)
手紙=ひらいて・視るもの(読むもの)
脚=ひらいて・行き止まるもの(ひらいても奥を抜けることはできないもの)
これらみっつが「ひらく」というカテゴリーのもと読点で一気に連結されていくときに、そこにはひらくことの意味の重ねがけがなされるんじゃないかとおもうのです。
つまり、
門=ひらいて・入るもの
手紙=ひらいて・視るもの(ひらいて・入るもの)
脚=ひらいて・行き止まるもの(ひらいて・入る/視るもの)
こんなふうに後ろにゆくにつれ、門、手紙で起動した意味が重ねがけされていくような構造になっているのではないか。それによって、「脚」によって行き止まるはずだった「ひらく」というアクションが、「脚」をひらいて「入る/視る」という〈奥行き〉への反転によって行き止まりが解除されるのがこのうたのおもしろさと艶やかさのようにおもうんです。
ここでは、ひらくという行為が、短歌という短い形式のなかでいかに意味作用を電光石火のように起こしつつ、ひらくことの意味を反転させていくか、ということが行われているようにおもうんです。このうたがおさめられている歌集『てのひらを燃やす』というのも、それは〈て〉をめぐる意味作用、しかも短歌のなかでしか起こり得ないような〈て〉をめぐる意味のスパーク、炎上なのではないかとおもうのです。
このうたには、「また白い手が来る」と「また」という反復の副詞が入っていました。「門、手紙、脚など」という例示の副助詞も入っていました。
「白い手」は「門、手紙、脚」をなんども繰り返し「ひらく」し、「など」という空間的ひろがりが示すように、それは同時に他をもひらく可能性をもっています。
つまり、「ひらく」ことの意味生成はくりかえされることによりさらに意味が重ねがけされ、他のひらく事物をも包含していくことによりさらに重ねがけのヴァラエティを増幅させていくようにおもうのです。
おそらくそこに、なにもかもがひらいていくような、光源が最大量にひらかれているはずの、「きれいなまひる」という意味の光源をみることができるようなきがします。
冬の夜のジャングルジムに手をかける悦び 手には生涯がある 大森静佳
【むすんで(ならべて)ひらいて】
「門、手紙、脚」が並列化されていることに注目してすこし読んでみたいとおもいます。
それぞれのひらかれた後のアクションをまとめると次のようになるのではないかとおもいます。
門=ひらいて・入るもの(通過するもの)
手紙=ひらいて・視るもの(読むもの)
脚=ひらいて・行き止まるもの(ひらいても奥を抜けることはできないもの)
これらみっつが「ひらく」というカテゴリーのもと読点で一気に連結されていくときに、そこにはひらくことの意味の重ねがけがなされるんじゃないかとおもうのです。
つまり、
門=ひらいて・入るもの
手紙=ひらいて・視るもの(ひらいて・入るもの)
脚=ひらいて・行き止まるもの(ひらいて・入る/視るもの)
こんなふうに後ろにゆくにつれ、門、手紙で起動した意味が重ねがけされていくような構造になっているのではないか。それによって、「脚」によって行き止まるはずだった「ひらく」というアクションが、「脚」をひらいて「入る/視る」という〈奥行き〉への反転によって行き止まりが解除されるのがこのうたのおもしろさと艶やかさのようにおもうんです。
ここでは、ひらくという行為が、短歌という短い形式のなかでいかに意味作用を電光石火のように起こしつつ、ひらくことの意味を反転させていくか、ということが行われているようにおもうんです。このうたがおさめられている歌集『てのひらを燃やす』というのも、それは〈て〉をめぐる意味作用、しかも短歌のなかでしか起こり得ないような〈て〉をめぐる意味のスパーク、炎上なのではないかとおもうのです。
このうたには、「また白い手が来る」と「また」という反復の副詞が入っていました。「門、手紙、脚など」という例示の副助詞も入っていました。
「白い手」は「門、手紙、脚」をなんども繰り返し「ひらく」し、「など」という空間的ひろがりが示すように、それは同時に他をもひらく可能性をもっています。
つまり、「ひらく」ことの意味生成はくりかえされることによりさらに意味が重ねがけされ、他のひらく事物をも包含していくことによりさらに重ねがけのヴァラエティを増幅させていくようにおもうのです。
おそらくそこに、なにもかもがひらいていくような、光源が最大量にひらかれているはずの、「きれいなまひる」という意味の光源をみることができるようなきがします。
冬の夜のジャングルジムに手をかける悦び 手には生涯がある 大森静佳
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