【こわい川柳 第三十九話】てのひらをぎゅうっと入れる深い箱 広瀬ちえみ
- 2015/06/20
- 09:28
てのひらをぎゅうっと入れる深い箱 広瀬ちえみ
【面は、ふかい】
きのうは内側に毛が生えてたらいやだよね、っていう話だったんですが、ただかんがえてみるとそもそも〈内側〉っていうのは、〈こわい〉ものなんです。
内側に毛が生えているのは、無意味の意味というかたちでかろうじて意味生成ができるのですが、〈内側〉そのものは意味生成ができません。なぜなら、〈見えない〉からです。
だからたとえば京極夏彦の『魍魎の匣』では、匣の内側がずっと意味形成されえないまま、いろんな〈内側〉として展開されていきます。
そこには、なにも入っていないただの執念や情念が入っている場合もあるし、「ほう」と鳴く少女がはいってる場合もあるし、河童のひものがはいっている場合もある。
中、はなんだっていいのです。オカルトとは、たぶん、内側の意味形成が機能できないからこそ、その意味形成の失調を起こってめぐる〈外部からのダイナミックの意味生成〉だからです。〈内側〉は見えないからこそ、機能する。
このちえみさんの句では、「深い箱」のなかに、「て」をいれているのではありません。「てのひら」をいれている。
「てのひら」をいれるって、どういうことなんでしょう。
それは、〈探索〉として、あたかもさぐるように、すぐ離脱できるように、てをさしいれるのではなく、はじめからなにかの目的として、逃げられないかたちで、ふれる表面積はすべて背負うかたちで「て」をいれる、ということになります。てのひら、ですから、なにかあったら、手全体で、箱のなかみを背負うことになります。
しかも、箱は、深い。
ゆびさき、ではありません。てのひら、です。なにかにふれても、わからないかもしれない。またなにかリスキーなものにふれた場合、ダメージもおおきいという、ここには可傷性もあります。
〈内側〉がオカルトとして、隠秘的に機能している場所に、潜在的に傷つくかたちを全面に展開しながら、てのひらとしてつっこんでゆくこと。〈面〉という傷つきやすさ。
そういえば、ちえみさんには〈面〉としてさぐってゆくことのまったく逆の、〈面〉が放棄されてゆくこんな句がありました。すなわち、
走りながらうしろに捨ててゆく景色 広瀬ちえみ
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