【感想】この町はそうね赤川次郎だわ なかはられいこ
- 2015/06/23
- 08:11
この町はそうね赤川次郎だわ なかはられいこ
【生きるは楽しい】
もう何ヶ月かずっと川合大祐さんと返句のやりとりをメールでさせていただいているのですが、その川合さんからメールのやりとりのなかで教えていただいたなかはらさんの句です。
わたしは高校に入ったときに乗った電車を降りないでそのまま学校を休むという学生だったんですが、そのときにずっと勇気にしていたのが赤川次郎でした。
で、赤川次郎の小説の魅力ってなんなのかといえば、町で無名的・匿名的に暮らす〈ひとびと〉の魅力だとおもうんですね(街じゃなく、町です)。
けれども、大事なことは、赤川次郎の小説をそれらのひとびとが通っていくことによって〈有名・実名〉化していくことです。
つまり赤川次郎の基本的なプロットは、まずなんでこんなわたしにこんな事件が起こるの、という出来事が起こる。そしてその出来事が小説によってしかなされえないプロットによって語り起こされることによって、その〈こんなわたし〉がほかのひとではありえない〈このわたし〉になっていく過程、それが赤川次郎のおもしろさなんじゃないかとおもうんです。それはただの「三毛猫」が「三毛猫ホームズ」になっていく過程です。
そしてそれはひとつの「町」としての把握・把持でもあるんじゃないかとおもうんです。「町」のなかに暮らすことの匿名性、けれどもそれが街や都市でなく、「町」だったことから起こる思いがけず近接した〈事件性〉。
そうした赤川次郎だけが描ける「町」のありかたがあったようにおもうし、わたしは降りなければならない駅を全力かつ微力でスルーして、そうゆう赤川次郎の「町」に毎朝おもむいていたのではないかと、なかはらさんの句をとおして、あらためておもうのです。
わたしが赤川次郎に関していつもおもうのは、わたしは赤川次郎がだいすきだったし、いまでもだいすきだということです。
【生きるは楽しい】
もう何ヶ月かずっと川合大祐さんと返句のやりとりをメールでさせていただいているのですが、その川合さんからメールのやりとりのなかで教えていただいたなかはらさんの句です。
わたしは高校に入ったときに乗った電車を降りないでそのまま学校を休むという学生だったんですが、そのときにずっと勇気にしていたのが赤川次郎でした。
で、赤川次郎の小説の魅力ってなんなのかといえば、町で無名的・匿名的に暮らす〈ひとびと〉の魅力だとおもうんですね(街じゃなく、町です)。
けれども、大事なことは、赤川次郎の小説をそれらのひとびとが通っていくことによって〈有名・実名〉化していくことです。
つまり赤川次郎の基本的なプロットは、まずなんでこんなわたしにこんな事件が起こるの、という出来事が起こる。そしてその出来事が小説によってしかなされえないプロットによって語り起こされることによって、その〈こんなわたし〉がほかのひとではありえない〈このわたし〉になっていく過程、それが赤川次郎のおもしろさなんじゃないかとおもうんです。それはただの「三毛猫」が「三毛猫ホームズ」になっていく過程です。
そしてそれはひとつの「町」としての把握・把持でもあるんじゃないかとおもうんです。「町」のなかに暮らすことの匿名性、けれどもそれが街や都市でなく、「町」だったことから起こる思いがけず近接した〈事件性〉。
そうした赤川次郎だけが描ける「町」のありかたがあったようにおもうし、わたしは降りなければならない駅を全力かつ微力でスルーして、そうゆう赤川次郎の「町」に毎朝おもむいていたのではないかと、なかはらさんの句をとおして、あらためておもうのです。
わたしが赤川次郎に関していつもおもうのは、わたしは赤川次郎がだいすきだったし、いまでもだいすきだということです。
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