【こわい川柳 第四十二話】ご公儀へ一万匹の鱏(えい)連れて 筒井祥文
- 2015/06/23
- 12:00
アンディー・ウォーホール「200個のキャンベル・スープ缶」
ご公儀へ一万匹の鱏(えい)連れて 筒井祥文
【隙間が、ない】
定型は、密室だからでしょうか。
ともかく隙間をうめようとする句や歌がおおいんです。
8000000の東京ドームを敷き詰めてそっと歩いてみたい日本 高松紗都子
もし僕が死んだときには棺桶におっぱいを敷き詰めてください じゃこ
エイや東京ドームやおっぱいは別に単数であればこわくないですが、敷き詰められると、こわい。
しかも定型というのは、水槽のようなパッケージングがしっかり・はっきりしてるものですから、きちんと敷き詰めようとすれば一万匹のエイも、8000000の東京ドームも、棺桶いっぱいのおっぱいも敷き詰められる。
そのみっちりしたかんじが、定型詩ならでは、だとおもうんですね。
で、ですね。定型って、この箱になにかをみっちり詰められずにいられない点が京極夏彦の『魍魎の匣』に似てるなあとおもうんですが、『魍魎の匣』っていう小説はひとことでいえば、〈サイバーパンク〉だとおもうんですね。
人間が、拡張されたバーチャルなシステムに接続してしまうことで、人間という境界がぶれぶれゆらゆらになることが、かんたんにいうとサイバーパンクだと(雑にいえばわたしは)おもいます。たとえば、デジタル空間につながったら、そこで問われるのは、人間とはそもそもなんだったか、主体とは、ことばとは、と定義が問い直されるわけです(だからレムの『ソラリス』や森博嗣の『すべてがFになる』なんかもサイバーパンクなんじゃないかなとおもいます)。
で、定型というのもですね、ある意味、密室の箱をとおして、そういう仮想的でバーチャルで無限の空間に、接続してみる行為だとも、おもうんですよ。10000のエイや、8000000の東京ドームや、10000000000のおっぱいに。
定型というのは、そうした限定した回路をつうじて、境界化しえない空間にアクセスしてしまうこわさをもっているのではないか。そんなふうにおもうのです。
おつぱいを三百並べ卒業式 松本てふこ
春はすぐそこだけどパスワードが違う 福田若之
はみだしたものを納める箱の中 八木千代
サイバーパンクっていうのは、コンピュータ・テクノロジーに対する一種のカウンター・カルチャーなんだよな。
でも、かならずしもテクノロジーに対抗するわけじゃなくて、たぶん、その先に何が来るのかを炙りだろうとする文学活動だったんだな。
ところがねえ、その文体や描写とか、スタイルがあんまりカッコよかったので、あちこちでフォロワーが生まれたわけ。
それで、テクノロジーによって拡張された人間の意識がコンピュータ・ネットワークによって接続・共有され統合制御下にある社会のなかで個人の自由を貫こうとする反体制的な人物や活動が描かれたりすると、だいたいサイバーパンクと呼ばれるようになってしまったわけだな。
サイバーパンクには、テクノロジーの到達の先に、人間性の喪失を想像し、さらにそれを肯定するような一種の世界観や思想性を内包していた。
「ジェームス怒々山の帰ってきた!SF集中講座~サイバーパンクってなあに?」『SFマガジン』2014/11
ご公儀へ一万匹の鱏(えい)連れて 筒井祥文
【隙間が、ない】
定型は、密室だからでしょうか。
ともかく隙間をうめようとする句や歌がおおいんです。
8000000の東京ドームを敷き詰めてそっと歩いてみたい日本 高松紗都子
もし僕が死んだときには棺桶におっぱいを敷き詰めてください じゃこ
エイや東京ドームやおっぱいは別に単数であればこわくないですが、敷き詰められると、こわい。
しかも定型というのは、水槽のようなパッケージングがしっかり・はっきりしてるものですから、きちんと敷き詰めようとすれば一万匹のエイも、8000000の東京ドームも、棺桶いっぱいのおっぱいも敷き詰められる。
そのみっちりしたかんじが、定型詩ならでは、だとおもうんですね。
で、ですね。定型って、この箱になにかをみっちり詰められずにいられない点が京極夏彦の『魍魎の匣』に似てるなあとおもうんですが、『魍魎の匣』っていう小説はひとことでいえば、〈サイバーパンク〉だとおもうんですね。
人間が、拡張されたバーチャルなシステムに接続してしまうことで、人間という境界がぶれぶれゆらゆらになることが、かんたんにいうとサイバーパンクだと(雑にいえばわたしは)おもいます。たとえば、デジタル空間につながったら、そこで問われるのは、人間とはそもそもなんだったか、主体とは、ことばとは、と定義が問い直されるわけです(だからレムの『ソラリス』や森博嗣の『すべてがFになる』なんかもサイバーパンクなんじゃないかなとおもいます)。
で、定型というのもですね、ある意味、密室の箱をとおして、そういう仮想的でバーチャルで無限の空間に、接続してみる行為だとも、おもうんですよ。10000のエイや、8000000の東京ドームや、10000000000のおっぱいに。
定型というのは、そうした限定した回路をつうじて、境界化しえない空間にアクセスしてしまうこわさをもっているのではないか。そんなふうにおもうのです。
おつぱいを三百並べ卒業式 松本てふこ
春はすぐそこだけどパスワードが違う 福田若之
はみだしたものを納める箱の中 八木千代
サイバーパンクっていうのは、コンピュータ・テクノロジーに対する一種のカウンター・カルチャーなんだよな。
でも、かならずしもテクノロジーに対抗するわけじゃなくて、たぶん、その先に何が来るのかを炙りだろうとする文学活動だったんだな。
ところがねえ、その文体や描写とか、スタイルがあんまりカッコよかったので、あちこちでフォロワーが生まれたわけ。
それで、テクノロジーによって拡張された人間の意識がコンピュータ・ネットワークによって接続・共有され統合制御下にある社会のなかで個人の自由を貫こうとする反体制的な人物や活動が描かれたりすると、だいたいサイバーパンクと呼ばれるようになってしまったわけだな。
サイバーパンクには、テクノロジーの到達の先に、人間性の喪失を想像し、さらにそれを肯定するような一種の世界観や思想性を内包していた。
「ジェームス怒々山の帰ってきた!SF集中講座~サイバーパンクってなあに?」『SFマガジン』2014/11
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