【こわい川柳 第四十三話】毒消し売りが来て毒売りとすれ違う 八木千代
- 2015/06/23
- 12:30
毒消し売りが来て毒売りとすれ違う 八木千代
【れいどのえくりちゅうる】
きのうも取り上げさせていただいたのですが、実は八木千代さんの句集『椿抄』もこわい・ふしぎな川柳にあふれているんですね。
八木さんの有名な句に、
まだ言えないが蛍の宿はつきとめた 八木千代
というのがありますがこれも考えてみれば、「まだ言えないが」のところに語り手の〈内的空間〉がみられてとてもこわくておもしろいとおもうんです。
その「蛍の宿」は語り手の内部にだけあるもので、語り手にしか見えないものかもしれない。でも「つきとめた」に語り手の確信はある。内部にしかみえないものかもしれないのに、「つきとめた」という〈ことば〉にしてしまったことで内部にあったはずの「蛍の宿」が外部へとつきでてくるふしぎさとこわさ。
しかも「まだ言えないが」なので、そのうち語り手はきちんと〈説明〉してくれるんだという予期と期待もおもしろい句ですよね。
で、この掲句の「毒消し売り」の句もおもしろい句だとおもうんですよね。ちょっと私的な例になるけれど、たとえばマリオをプレイしていてですね、ワンアップキノコを取るために命がけでジャンプしてそのまま落ちていくという。キノコはとったものの、死んでゆくという。そんな、〈いったいなんのために〉というプラスマイナスゼロの感覚がここにはあらわれているとおもうんですよ。
ただ大事なのはこの句の「すれ違う」だとおもうんですね。それはプラマイゼロに見せかけながら、すれちがっていく。また差異をおおきくはらんでいくわけですね。だから、いっしゅんを描いている。ゼロ、といういっしゅんを。相殺されるいっしゅんをですね。
ちなみに丸山進さんがご自身のブログで墨崎さんのこんなプラマイゼロ句を紹介されていました。ここにも百年後に到達できたゼロのいっしゅんがビビッドに描かれているとおもいます。わたしには0が無限にふえていく、ゼロの風景がみえます。それは、
百歳の母がプラマイゼロという 墨崎洋介
【れいどのえくりちゅうる】
きのうも取り上げさせていただいたのですが、実は八木千代さんの句集『椿抄』もこわい・ふしぎな川柳にあふれているんですね。
八木さんの有名な句に、
まだ言えないが蛍の宿はつきとめた 八木千代
というのがありますがこれも考えてみれば、「まだ言えないが」のところに語り手の〈内的空間〉がみられてとてもこわくておもしろいとおもうんです。
その「蛍の宿」は語り手の内部にだけあるもので、語り手にしか見えないものかもしれない。でも「つきとめた」に語り手の確信はある。内部にしかみえないものかもしれないのに、「つきとめた」という〈ことば〉にしてしまったことで内部にあったはずの「蛍の宿」が外部へとつきでてくるふしぎさとこわさ。
しかも「まだ言えないが」なので、そのうち語り手はきちんと〈説明〉してくれるんだという予期と期待もおもしろい句ですよね。
で、この掲句の「毒消し売り」の句もおもしろい句だとおもうんですよね。ちょっと私的な例になるけれど、たとえばマリオをプレイしていてですね、ワンアップキノコを取るために命がけでジャンプしてそのまま落ちていくという。キノコはとったものの、死んでゆくという。そんな、〈いったいなんのために〉というプラスマイナスゼロの感覚がここにはあらわれているとおもうんですよ。
ただ大事なのはこの句の「すれ違う」だとおもうんですね。それはプラマイゼロに見せかけながら、すれちがっていく。また差異をおおきくはらんでいくわけですね。だから、いっしゅんを描いている。ゼロ、といういっしゅんを。相殺されるいっしゅんをですね。
ちなみに丸山進さんがご自身のブログで墨崎さんのこんなプラマイゼロ句を紹介されていました。ここにも百年後に到達できたゼロのいっしゅんがビビッドに描かれているとおもいます。わたしには0が無限にふえていく、ゼロの風景がみえます。それは、
百歳の母がプラマイゼロという 墨崎洋介
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