【感想】質問を変えます私好きですか ひとは
- 2014/06/09
- 19:29
質問を変えます私好きですか ひとは
【この句からさらに質問を重ねてみる】
川柳における口語の役割について興味がある。
ひとはさんの上の句が前から気になっていてずっとかんがてえいたのだが、この句に実は口語体を選択することの大切なヒントがあるのかなと思うようになった。どういうことか。
上の句は「ます」「ですか」といった口語体になっているのだが、575しかないなかで決してエコノミカルな文体とはいえない口語体をあえて選択することによって575では描ききれない〈対話〉としてのひろがりある空間を描き出している。
つまりわたしはそれが口語体のミソなのではないかと思っている。
上の句で語り手は「質問を変えます」と切り出している。その時点で読み手は、わたし-あなたの応答の文脈の流れのなかに唐突に放り込まれる。ふいうちでやってきた闖入者は語り手ではない。わたしたちのほうだ。
ところがこの語り手のドラマチックなところは読み手をわたし-あなたの対話の流れのなかに巻き込みながら「私好きですか」という対話のデッドエンドともいえる核心をつく「質問」を相手に投げかけてしまうところだ。そして読み手は突き放される。答えはえられない。語り手も答えはしらない。「質問」をうけている潜在的な「あなた」としての対話の相手だけが答えをにぎっている。しかしその「あなた」に「私好き」かどうかの「答え」を握らせたのはそれまでの「私」である。
だから読み手であるわたしたちはいやおうもなくこの「私-あなた関係」のなかに巻き込まれている。巻き込まれ、放り投げる。これはそうした意味の嵐のような句だとわたしは思う。しかし、ここで大事なことは、575で意味の嵐をひきおこせるのだということだ。
わたしもここで質問を変えたいとおもう。川柳を詠むということはむしろ575以外を詠むことではないのかと。575を詠むことによって差異化された、潜在化された膨大な、なんまんじのテクストを潜在的に詠むことなのではないかと。
語り手「私」が「あなた」に発した「私好きですか」の答えは永遠に遅延され意味の嵐のなかでとびかいつづけるだけだが、わたしはこの句が、すきだ。
そのひとはさんが選者をつとめた『おかじょうき』2014年6月号の題詠「森」で、下にあるわたしの句を佳作に選んでいただいた。グリム童話の森では、〈食べる/食べられる〉〈逃げる/追いかける〉〈生きる/死ぬ〉〈眠る/起きる〉といったメタファーが氾濫しているように、わたしにとって〈森〉とは迂遠された性的メタファーが氾濫している場所のように思えることがある。性的メタファーとは「くちびる」から放たれるセクシュアリティのことだ。森はくちびるからとなえられ、語られ、騙り継がれることによって〈森〉となってゆくのではないだろうか。
ひとはさん、ありがとうございました。
しんりん、とくちびるがいう性的に 柳本々々
【この句からさらに質問を重ねてみる】
川柳における口語の役割について興味がある。
ひとはさんの上の句が前から気になっていてずっとかんがてえいたのだが、この句に実は口語体を選択することの大切なヒントがあるのかなと思うようになった。どういうことか。
上の句は「ます」「ですか」といった口語体になっているのだが、575しかないなかで決してエコノミカルな文体とはいえない口語体をあえて選択することによって575では描ききれない〈対話〉としてのひろがりある空間を描き出している。
つまりわたしはそれが口語体のミソなのではないかと思っている。
上の句で語り手は「質問を変えます」と切り出している。その時点で読み手は、わたし-あなたの応答の文脈の流れのなかに唐突に放り込まれる。ふいうちでやってきた闖入者は語り手ではない。わたしたちのほうだ。
ところがこの語り手のドラマチックなところは読み手をわたし-あなたの対話の流れのなかに巻き込みながら「私好きですか」という対話のデッドエンドともいえる核心をつく「質問」を相手に投げかけてしまうところだ。そして読み手は突き放される。答えはえられない。語り手も答えはしらない。「質問」をうけている潜在的な「あなた」としての対話の相手だけが答えをにぎっている。しかしその「あなた」に「私好き」かどうかの「答え」を握らせたのはそれまでの「私」である。
だから読み手であるわたしたちはいやおうもなくこの「私-あなた関係」のなかに巻き込まれている。巻き込まれ、放り投げる。これはそうした意味の嵐のような句だとわたしは思う。しかし、ここで大事なことは、575で意味の嵐をひきおこせるのだということだ。
わたしもここで質問を変えたいとおもう。川柳を詠むということはむしろ575以外を詠むことではないのかと。575を詠むことによって差異化された、潜在化された膨大な、なんまんじのテクストを潜在的に詠むことなのではないかと。
語り手「私」が「あなた」に発した「私好きですか」の答えは永遠に遅延され意味の嵐のなかでとびかいつづけるだけだが、わたしはこの句が、すきだ。
そのひとはさんが選者をつとめた『おかじょうき』2014年6月号の題詠「森」で、下にあるわたしの句を佳作に選んでいただいた。グリム童話の森では、〈食べる/食べられる〉〈逃げる/追いかける〉〈生きる/死ぬ〉〈眠る/起きる〉といったメタファーが氾濫しているように、わたしにとって〈森〉とは迂遠された性的メタファーが氾濫している場所のように思えることがある。性的メタファーとは「くちびる」から放たれるセクシュアリティのことだ。森はくちびるからとなえられ、語られ、騙り継がれることによって〈森〉となってゆくのではないだろうか。
ひとはさん、ありがとうございました。
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