【感想】ロマンチックな庭だね、黒い草花が取囲む池に虹が懸かり、きみの弟が溺れてゐるね 松平修文
- 2015/06/24
- 12:00
ロマンチックな庭だね、黒い草花が取囲む池に虹が懸かり、きみの弟が溺れてゐるね 松平修文
【磁力としての定型】
『歌壇』1987年12月号の松平さんの連作「夢森」からの一首です。
この号の別の箇所で松平さんが書かれていることなんですが、たとえばもし自分が書きたい歌がたとえば定型をはみだしてしまい、そしてもしかりにそれが短歌をつきぬけて短歌以外のものになってしまうならそれはそれでいい、というようなことを書かれているんですね。
これはある意味で以前にも書いた鴇田智哉さんの俳句への認識にもつながっていくとおもうんです。
短歌や俳句を詠んでいるうちに、それそのものを枠組みからつきぬけたところに、短歌や俳句をみいだしていく、あるいはつきぬけてしまったところから短歌や俳句をかんがえていく。
掲歌なんですが、きょうみぶかいのは、「ロマンチックな庭だね」と口語的にはじまりながら、とつぜん「黒い草花が取囲む池に虹が懸かり」と書き言葉のスタイルになっているところです。
この松平さんの歌は大幅な定型の逸脱をしながらも、なにかに引き寄せられ、拘束され、ある磁場のなかでことばをつむいでいることがわかります。散文脈ではありえないようなことばのレベルの混淆が起きています。
で、もしかしたらこれもひとつの〈定型(コード)〉なのではないかとおもうのです。わたしは以前、嶋田さくらこさんの短歌の感想を書いたときにもそうおもったのですが、短歌のことばのレベルというのは、実は定型そのものの磁場によって〈積極的〉に入り乱れます。ことばのミルフィーユのように重層的になり、その重層形式が意味内容にも変化をあたえていく。たとえば、さくらこさんのそのときの短歌は、恋情としてのゆらぎが形式としてのゆらぎにもなっていた。
松平さんのこの歌であれば、ことばのレベルがいりみだれることによって、この語り手の〈理性の倒錯〉が描かれているとおもうんですね。「きみの弟が溺れてゐる」という〈喫緊〉の出来事を〈短歌〉として語り手は〈定型〉におさめようとしている。それが〈理性の倒錯〉です。
そういうふうに、五七五七七の定型にそうことだけが、定型なのではなくて、定型の磁力にことばがゆだねられてしまうこともまた〈定型〉といえるのではないか。定型の磁力、のようなものに。
そのような、きも、するのです。〈理性の倒錯〉にたのしくかこまれながら。それらは、
野菊といふ名の宇宙人夜明け前の部屋に来てこひびとにしてくれと言ふ 松平修文
冷凍にされた少女らが船に積込まれる前に、それをきみたちが盗み出す気なんだね 〃
「僕が死んだら実家(いへ)に帰れ」ときみが言ひ、たぶんさうするだらうとおもふ 〃
【磁力としての定型】
『歌壇』1987年12月号の松平さんの連作「夢森」からの一首です。
この号の別の箇所で松平さんが書かれていることなんですが、たとえばもし自分が書きたい歌がたとえば定型をはみだしてしまい、そしてもしかりにそれが短歌をつきぬけて短歌以外のものになってしまうならそれはそれでいい、というようなことを書かれているんですね。
これはある意味で以前にも書いた鴇田智哉さんの俳句への認識にもつながっていくとおもうんです。
短歌や俳句を詠んでいるうちに、それそのものを枠組みからつきぬけたところに、短歌や俳句をみいだしていく、あるいはつきぬけてしまったところから短歌や俳句をかんがえていく。
掲歌なんですが、きょうみぶかいのは、「ロマンチックな庭だね」と口語的にはじまりながら、とつぜん「黒い草花が取囲む池に虹が懸かり」と書き言葉のスタイルになっているところです。
この松平さんの歌は大幅な定型の逸脱をしながらも、なにかに引き寄せられ、拘束され、ある磁場のなかでことばをつむいでいることがわかります。散文脈ではありえないようなことばのレベルの混淆が起きています。
で、もしかしたらこれもひとつの〈定型(コード)〉なのではないかとおもうのです。わたしは以前、嶋田さくらこさんの短歌の感想を書いたときにもそうおもったのですが、短歌のことばのレベルというのは、実は定型そのものの磁場によって〈積極的〉に入り乱れます。ことばのミルフィーユのように重層的になり、その重層形式が意味内容にも変化をあたえていく。たとえば、さくらこさんのそのときの短歌は、恋情としてのゆらぎが形式としてのゆらぎにもなっていた。
松平さんのこの歌であれば、ことばのレベルがいりみだれることによって、この語り手の〈理性の倒錯〉が描かれているとおもうんですね。「きみの弟が溺れてゐる」という〈喫緊〉の出来事を〈短歌〉として語り手は〈定型〉におさめようとしている。それが〈理性の倒錯〉です。
そういうふうに、五七五七七の定型にそうことだけが、定型なのではなくて、定型の磁力にことばがゆだねられてしまうこともまた〈定型〉といえるのではないか。定型の磁力、のようなものに。
そのような、きも、するのです。〈理性の倒錯〉にたのしくかこまれながら。それらは、
野菊といふ名の宇宙人夜明け前の部屋に来てこひびとにしてくれと言ふ 松平修文
冷凍にされた少女らが船に積込まれる前に、それをきみたちが盗み出す気なんだね 〃
「僕が死んだら実家(いへ)に帰れ」ときみが言ひ、たぶんさうするだらうとおもふ 〃
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