【こわい川柳 第四十七話】合わせ鏡のなかでひとりが発火する 江口ちかる
- 2015/06/26
- 12:30
(ブルース・リーやオーソン・ウェルズの有名な鏡のシーン。映画がにわかに〈映画的〉になるしゅんかん。合わせ鏡とは、そもそもが投影された映画的主体である)
合わせ鏡のなかでひとりが発火する 江口ちかる
【鏡のなかの華氏451】
『バックストローク』26号からちかるさんの一句です。
阿部公彦さんが、〈反復(リフレイン)〉というのは失敗してこそ/失敗するから、詩の力が発動する、というふうなことを書かれていたんですが、このちかるさんの句ではまず「合わせ鏡」があってそのなかに無数の折り目正しく反復された〈ひとり〉の人間がいるわけです。
じぶんでやってみてもわかりまずが、合わせ鏡のなかではわずかな差異をもちながら自身が反復されていく。
でもそこで「発火する」というひじょうにこわいことが起きてしまったのがこのちかるさんの句です。
つまり、反復(リフレイン)は、ぜったいに失敗しえない状況のなかで、決定的に失敗してしまったのです。
語り手は「ひとりが発火する」と「ひとり」と名指ししています。これも注意したい箇所です。
「わたしが発火する」ではありません。「ひとり」です。
つまり、合わせ鏡の無数の反復された行列としての〈わたし〉からこの発火している「ひとり」はすでに〈分離〉されているのです。だから「わたし」ではなく「ひとり」です。
そしてこの「発火」というのも大事だとおもうんです。
鏡というのは実は可逆的です。たとえばわたしがわたしをうつす。うつります。合わせ鏡にうつす。ふえます。わたしが、ふえます。そしてうつすのをやめれば、減ります。うつらなくなります。
ところが。
「発火」してしまったら、皮膚や細胞がダメージを負います。これは、身体の損壊です。不可逆な行為が、「発火」なのです。可逆的な鏡の空間のなかで、不可逆な「発火」という瞬間性の行為がスパークしています。
ここにはいろんあ起こりうべからざる出来事が起こっています。おこりうべからざらんことのなかでおこりうることは排除されおこりえたことが叙述されているのです。
おこりうべからざる──。どうか文法的に正しくありますように、といま、祈っています。しかし、〈間違い仕立て〉といえば、こんなありうべからざる鳥も、います。
鳥市でアリクイ仕立ての鳥を買う 江口ちかる
岸浩史さんのマンガ『夢を見た』から、悪夢のような合わせ鏡。合わせ鏡のなかで、ひとはおのれの主体をうしない、〈わたし〉が〈ひとり〉のうちの〈ひとり〉となる。
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