【こわい川柳 第五十話】ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む 川合大祐
- 2015/06/28
- 21:20
ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む 川合大祐
【んjsdhgふぁえうぎっjkfsh;kj】
こわい川柳の〈折り返し〉です。
折り返しのこわい句はなにがいいだろうと考えたときに、よのなかでなにがいちばんこわいかといえば、意味に回収できないモノがいちばんこわいんじゃないかとおもうんですね。
たとえば、会議室のまんなかにこんにゃくが落ちている。よくわからないけれど、こわい、とか。
ゆうじんが2センチだけ浮いている。よくわからないけれど、こわい、とか。
つまり、こわくない、っていうのは、意味がわかる、ことなんです。たとえば明日試験だといってあたまをかかえてこわがっているひとは、試験のコンテンツの意味に対応できないから〈こわい〉んだとおもうんですね。
うしろにいるよ、と幽霊からいわれたときにこわいのは、その〈うしろ〉というコンテンツの意味性を把持できないからです。
で、こんかいの五十話目は、『旬』200号(2015年7月)から川合さんの句を選んでみました。
わからない、ので、こわい句、です。
ただヒントは与えてくれています。
「岳」「壁」「挑む」。なにか立ち向かわなければ進めない対象に対して挑んでいるようすはわかります。
でもそれらを逸らしていくのが、「ぐびゃら」「じゅじゅべき」「びゅびゅ」というありかたです。
意味が回収できないよう溶解するような擬音がさしこまれている。
ところがです。さらにこわいのは、この意味不明な句がどういうわけか意味不明の様態をかもしながらも、〈定型〉だけはかたくなに〈死守〉しようとしている点です。
きちんと575に沿っています。むしろ、575という定型に沿うために意味不明としての狂気におちいっているようなそぶりすらみせています。
ここでもうひとつのこわさの様相がわかってきます。
こわさとは、まず、意味不明なことです。
とつぜん、うしろにだれかがいることです。意味がとれなくなるしゅんかんが、こわい。
ところが、もうひとつ。その意味不明な存在がみずからの規則をもち、その規則にそって行動していることがわかると、さらにこわいということです。
たとえば幽霊がだんだんとじぶんの家にちかづいてきているのがわかる。いま家のまえだよ。いま階段をのぼっているよ。いま玄関だよ。いま廊下だよ。
だんだんちかづいてきている。なぜかは、わからない。でもかれ/かのじょはなにかの規則にそってこちらにきている。
意味不明だけれど、規則性があるもの。
でもじつは、それって、川柳そのものなのではないかともおもうのです。
17音でしか語れないので、いつも意味を生成するまえに終わってしまう意味不明なもの。
けれども、定型という規則性を意味不明なままに遂行しようとするもの。
それが川柳なのではないか。
だとしたら、おそろしいことに、すべての川柳は〈こわい〉はずです。
そしてすべての川柳はいつもあなたの〈うしろ〉にいるのです。いみふめいな、きそくせいとして。
おりかえし、です。
二億年後の夕やけに立つのび太 川合大祐
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こわい川柳の〈折り返し〉です。
折り返しのこわい句はなにがいいだろうと考えたときに、よのなかでなにがいちばんこわいかといえば、意味に回収できないモノがいちばんこわいんじゃないかとおもうんですね。
たとえば、会議室のまんなかにこんにゃくが落ちている。よくわからないけれど、こわい、とか。
ゆうじんが2センチだけ浮いている。よくわからないけれど、こわい、とか。
つまり、こわくない、っていうのは、意味がわかる、ことなんです。たとえば明日試験だといってあたまをかかえてこわがっているひとは、試験のコンテンツの意味に対応できないから〈こわい〉んだとおもうんですね。
うしろにいるよ、と幽霊からいわれたときにこわいのは、その〈うしろ〉というコンテンツの意味性を把持できないからです。
で、こんかいの五十話目は、『旬』200号(2015年7月)から川合さんの句を選んでみました。
わからない、ので、こわい句、です。
ただヒントは与えてくれています。
「岳」「壁」「挑む」。なにか立ち向かわなければ進めない対象に対して挑んでいるようすはわかります。
でもそれらを逸らしていくのが、「ぐびゃら」「じゅじゅべき」「びゅびゅ」というありかたです。
意味が回収できないよう溶解するような擬音がさしこまれている。
ところがです。さらにこわいのは、この意味不明な句がどういうわけか意味不明の様態をかもしながらも、〈定型〉だけはかたくなに〈死守〉しようとしている点です。
きちんと575に沿っています。むしろ、575という定型に沿うために意味不明としての狂気におちいっているようなそぶりすらみせています。
ここでもうひとつのこわさの様相がわかってきます。
こわさとは、まず、意味不明なことです。
とつぜん、うしろにだれかがいることです。意味がとれなくなるしゅんかんが、こわい。
ところが、もうひとつ。その意味不明な存在がみずからの規則をもち、その規則にそって行動していることがわかると、さらにこわいということです。
たとえば幽霊がだんだんとじぶんの家にちかづいてきているのがわかる。いま家のまえだよ。いま階段をのぼっているよ。いま玄関だよ。いま廊下だよ。
だんだんちかづいてきている。なぜかは、わからない。でもかれ/かのじょはなにかの規則にそってこちらにきている。
意味不明だけれど、規則性があるもの。
でもじつは、それって、川柳そのものなのではないかともおもうのです。
17音でしか語れないので、いつも意味を生成するまえに終わってしまう意味不明なもの。
けれども、定型という規則性を意味不明なままに遂行しようとするもの。
それが川柳なのではないか。
だとしたら、おそろしいことに、すべての川柳は〈こわい〉はずです。
そしてすべての川柳はいつもあなたの〈うしろ〉にいるのです。いみふめいな、きそくせいとして。
おりかえし、です。
二億年後の夕やけに立つのび太 川合大祐
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