【川柳】いままでのすべてのうそをもらう吽(うん)
- 2014/06/10
- 15:47
いままでのすべてのうそをもらう吽(うん) 柳本々々
もらったりもらわれたりして家族です
(『おかじょうき』2014年6月)
【いま、そこにある、ファイナル・うん】
題詠「貰う」で、選者の奈良一艘さんから佳作として選んでいただいた二句。
俳句も川柳も575ではあるが、季語の有無によって俳句か川柳かが違う。
季語というのは巨大な他者としてのシステムであり、そのシステムに参入しつつも、システムごとなんとか差異化しようとするのが俳句だとわたしは考えている。
その他者としてのシステムは川柳にはないのか、というとそうでもないんじゃないかなと思ったりする。
たとえば川柳のそのほとんどはおそらく題詠でつくられている。題詠でつくるということは、その題詠をとおしていったんは他者としてのシステムに関わるということだ。
しかもそのシステムは季語のような歴史的に構築されたシステムではない。だからそのシステムの根拠はつねに〈いま、ここ〉という現在の文化や歴史のなかにある。つまり、題詠とは、題詠という〈いま、ここ〉の文化・歴史にアクセスするためのツールを通して、〈いま、ここ〉をいったんくぐりぬけたうえで句を詠むという文化や歴史と接続するためのシステムなのではないかと思う。
川柳は、三回、〈いま、ここ〉とであう。一回目は題詠としての歴史・文化へのアクセスとして。二回目は、題詠で詠まれた句が集まったときの〈座〉としての〈いま、ここ〉として。三回目は、題詠からも、座からも解放され、〈いま、ここ〉を生きる読み手がその句を眼にしたときの〈いま、そこ〉に起きた意味作用の〈いま、ここ〉として。
題詠「?」という〈いま、ここ〉のシステムから奈良一艘さんはこんな句を詠んでいる。「?」にも、こんなふうに、〈いま、ここ〉がある。
心的外傷って何だろう?茹で玉子 奈良一艘
もらったりもらわれたりして家族です
(『おかじょうき』2014年6月)
【いま、そこにある、ファイナル・うん】
題詠「貰う」で、選者の奈良一艘さんから佳作として選んでいただいた二句。
俳句も川柳も575ではあるが、季語の有無によって俳句か川柳かが違う。
季語というのは巨大な他者としてのシステムであり、そのシステムに参入しつつも、システムごとなんとか差異化しようとするのが俳句だとわたしは考えている。
その他者としてのシステムは川柳にはないのか、というとそうでもないんじゃないかなと思ったりする。
たとえば川柳のそのほとんどはおそらく題詠でつくられている。題詠でつくるということは、その題詠をとおしていったんは他者としてのシステムに関わるということだ。
しかもそのシステムは季語のような歴史的に構築されたシステムではない。だからそのシステムの根拠はつねに〈いま、ここ〉という現在の文化や歴史のなかにある。つまり、題詠とは、題詠という〈いま、ここ〉の文化・歴史にアクセスするためのツールを通して、〈いま、ここ〉をいったんくぐりぬけたうえで句を詠むという文化や歴史と接続するためのシステムなのではないかと思う。
川柳は、三回、〈いま、ここ〉とであう。一回目は題詠としての歴史・文化へのアクセスとして。二回目は、題詠で詠まれた句が集まったときの〈座〉としての〈いま、ここ〉として。三回目は、題詠からも、座からも解放され、〈いま、ここ〉を生きる読み手がその句を眼にしたときの〈いま、そこ〉に起きた意味作用の〈いま、ここ〉として。
題詠「?」という〈いま、ここ〉のシステムから奈良一艘さんはこんな句を詠んでいる。「?」にも、こんなふうに、〈いま、ここ〉がある。
心的外傷って何だろう?茹で玉子 奈良一艘
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