【感想】太宰忌やびよんびよんとホッピング 澤田和弥
- 2015/07/06
- 23:44
太宰忌やびよんびよんとホッピング 澤田和弥
【びよんびよん攻略戦】
この句がいいなびよんびよんしているなと思うのは、「桜桃忌」じゃなくてあえて「太宰忌」としているところにあるとおもうんですね。
五音の桜桃忌(オウトウキ)ではなく、四音の太宰忌(ダザイキ)。
それによって、「や」という切れ字をいれることができる。
太宰治にありがちな、太宰治と発話したときにめぐりくる情念や意味性を断ち切ることができる。
しかも、桜桃忌というのは、文学のメディア・イヴェントになってしまって多重な意味作用をするものになってしまったけれど、太宰忌は初版の『晩年』のように手垢がついていない。
つまり、これ、太宰治の情念からいかに飛躍・跳躍するか、という句なんじゃないかとおもうんです。
太宰忌への言い換え、切れ字の使用、そこからの「びよんびよんとホッピング」。じっさい、語り手は、跳躍することの躍動的欲動を隠してはいない。
むしろ、あからさまに、びよんびよんしています。
この太宰治というあまりにも記号が発酵しすぎて、記号の沼のような場所へホッピングを仕掛けること。でもその仕掛けることがびよんびよんなのでどこまでも軽やかにならざるをえないこと。『人間失格びよんびよん』を生成すること。生まれてすみませんびよんびよんや、ただいっさいは過ぎていきますびよんびよんを組織すること。
これが澤田さんのびよんびよんした過激さだとおもうのです。
とびおりてしまひたき夜のソーダ水 澤田和弥
眼鏡を掛けた太宰治。
【びよんびよん攻略戦】
この句がいいなびよんびよんしているなと思うのは、「桜桃忌」じゃなくてあえて「太宰忌」としているところにあるとおもうんですね。
五音の桜桃忌(オウトウキ)ではなく、四音の太宰忌(ダザイキ)。
それによって、「や」という切れ字をいれることができる。
太宰治にありがちな、太宰治と発話したときにめぐりくる情念や意味性を断ち切ることができる。
しかも、桜桃忌というのは、文学のメディア・イヴェントになってしまって多重な意味作用をするものになってしまったけれど、太宰忌は初版の『晩年』のように手垢がついていない。
つまり、これ、太宰治の情念からいかに飛躍・跳躍するか、という句なんじゃないかとおもうんです。
太宰忌への言い換え、切れ字の使用、そこからの「びよんびよんとホッピング」。じっさい、語り手は、跳躍することの躍動的欲動を隠してはいない。
むしろ、あからさまに、びよんびよんしています。
この太宰治というあまりにも記号が発酵しすぎて、記号の沼のような場所へホッピングを仕掛けること。でもその仕掛けることがびよんびよんなのでどこまでも軽やかにならざるをえないこと。『人間失格びよんびよん』を生成すること。生まれてすみませんびよんびよんや、ただいっさいは過ぎていきますびよんびよんを組織すること。
これが澤田さんのびよんびよんした過激さだとおもうのです。
とびおりてしまひたき夜のソーダ水 澤田和弥
眼鏡を掛けた太宰治。
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