【あとがき】岩松了『お茶と説教(無関心の道徳的価値をめぐって)』のあとがき。
- 2015/07/06
- 23:54
この『お茶と説教』は、ひたすら“だらしのない時間”“緊張感のない関係”をやりたくて書いたものです。
…しかし、十年もつづけていたという事実には思いのほか深いものがあったようで、この私が、どうかすると、今さら他にどんな生き方が……とすらつぶやきそうな具合だったのです。「今さら他にどんな生き方が……」と言葉にしてしまうことの動揺は、とにかく察していただきたいわけですが、まあ、大変なものです。そのことは、私に、人が正気を失ってゆく過程を思わせます。
正気とはつまり、「生き方に、どんなもクソもねえだろ」と思える力です。
人は突然、職業につきます。そしておかしくなるのです。あげくの果てに「今さら、他にどんな生き方が……」などということを平気で言ったりするのです。
そこにあるものはそこにあるもの、つまりはそのことを確かめることが演劇の作業ではないのでしょうか。
何かについて的確な判断を下すことが演劇のつとめでもないし、何かについて気のきいた批評をすることもまた演劇のつとめではないはずです。
その母親と息子の状況にドラマがあると同時に、それを見ているあなたにもドラマはあるのです。そして同じ比重で、見てないあなたにも。
『お茶と説教』は、そうしたことを確認したくて書いた本ということもできるような気がします。
岩松了「あとがき」『お茶と説教(無関心の道徳的価値をめぐって)』
…しかし、十年もつづけていたという事実には思いのほか深いものがあったようで、この私が、どうかすると、今さら他にどんな生き方が……とすらつぶやきそうな具合だったのです。「今さら他にどんな生き方が……」と言葉にしてしまうことの動揺は、とにかく察していただきたいわけですが、まあ、大変なものです。そのことは、私に、人が正気を失ってゆく過程を思わせます。
正気とはつまり、「生き方に、どんなもクソもねえだろ」と思える力です。
人は突然、職業につきます。そしておかしくなるのです。あげくの果てに「今さら、他にどんな生き方が……」などということを平気で言ったりするのです。
そこにあるものはそこにあるもの、つまりはそのことを確かめることが演劇の作業ではないのでしょうか。
何かについて的確な判断を下すことが演劇のつとめでもないし、何かについて気のきいた批評をすることもまた演劇のつとめではないはずです。
その母親と息子の状況にドラマがあると同時に、それを見ているあなたにもドラマはあるのです。そして同じ比重で、見てないあなたにも。
『お茶と説教』は、そうしたことを確認したくて書いた本ということもできるような気がします。
岩松了「あとがき」『お茶と説教(無関心の道徳的価値をめぐって)』
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