【感想】いつしか人に生まれていたわ アナタも? 池田澄子
- 2015/07/07
- 10:38
いつしか人に生まれていたわ アナタも? 池田澄子
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 〃
【生きられる相対性理論】
池田さんのこのふたつの句にあるものって、〈宿命観〉なんじゃないかとおもうんですね。
で、これら句のいっている内容はろけつさんの、
ちんこ、大人になっても一つ 山田露結
とそんなに変わらないんじゃないかとおもうんです。
いつしか人に生まれていたわ、ということは、〈人〉であることを宿命として引き受けざるをえなくなる〈自覚〉のしゅんかんでもあるし(大人になっても一つという自覚のしゅんかん)、じゃんけんで負けて蛍に生まれたのという述懐も〈蛍〉を引き受けようとすることの諦念と自覚だとおもうんです。
ただろけつさんの句と少し句の姿勢が異なるのは、池田さんの句はその宿命観を相対化もしようとしているところなんじゃないかとおもうんです。
たとえば、「アナタも?」には、あなたはどうなのか、わたしとちがうかもしれない、おなじかもしれないけれど、ちがうかもしれない、という相対化の機能がついているようにおもいます。わたしは「いつしか人に生まれて」いたけれどあなたは違うかもしれない。この「アナタ」というカタカナ表記には、「わたし」と対称にならない、比較できない、固有の「アナタ」性の自覚もある。
蛍の句の「じゃんけん」もそうだとおもうんですね。じゃんけんは絶対性がなくて、勝ったり負けたりする相対的なものです。負けた蛍の生に対置される勝った生もあるはずです。アナタの生がそうかもしれない。
池田さんの句にはそうした〈宿命観〉と、その宿命観を相対化する〈宿命観の相対性〉があるようにおもうんです。
とりかえられた相対性ととりかえられえない絶対性のはざまで。
死んでもいいとおもうことあれどヒロシマ忌 池田澄子
私たちはいまや、運命のモチーフに導かれて、第三のレベル、すなわち〈現実界〉のレベルのすぐ前まで来た。
「手紙はかならず宛先に届く」は、「自分の運命と出会う」という表現が意味するもの、すなわち「私たちはみんな死ぬ」と同じである。
私たちは、理論以前の素朴な感受性によって、「手紙はかならず宛先に届く」という命題にまとわりついている何か不吉なものについて感じている。
誰ひとりとして逃れられない手紙、遅かれ早かれ私たちのもとに届く手紙、私たち一人ひとりを間違いなく受取人にする手紙とは、すなわち死である。
こう言うこともできよう──私たちはある手紙(私たちに死を宣告する手紙)が私たちを探しながらあちこちさまよっている間だけ生きていられるのだ、と。
ジジェク『汝の症候を楽しめ』
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 〃
【生きられる相対性理論】
池田さんのこのふたつの句にあるものって、〈宿命観〉なんじゃないかとおもうんですね。
で、これら句のいっている内容はろけつさんの、
ちんこ、大人になっても一つ 山田露結
とそんなに変わらないんじゃないかとおもうんです。
いつしか人に生まれていたわ、ということは、〈人〉であることを宿命として引き受けざるをえなくなる〈自覚〉のしゅんかんでもあるし(大人になっても一つという自覚のしゅんかん)、じゃんけんで負けて蛍に生まれたのという述懐も〈蛍〉を引き受けようとすることの諦念と自覚だとおもうんです。
ただろけつさんの句と少し句の姿勢が異なるのは、池田さんの句はその宿命観を相対化もしようとしているところなんじゃないかとおもうんです。
たとえば、「アナタも?」には、あなたはどうなのか、わたしとちがうかもしれない、おなじかもしれないけれど、ちがうかもしれない、という相対化の機能がついているようにおもいます。わたしは「いつしか人に生まれて」いたけれどあなたは違うかもしれない。この「アナタ」というカタカナ表記には、「わたし」と対称にならない、比較できない、固有の「アナタ」性の自覚もある。
蛍の句の「じゃんけん」もそうだとおもうんですね。じゃんけんは絶対性がなくて、勝ったり負けたりする相対的なものです。負けた蛍の生に対置される勝った生もあるはずです。アナタの生がそうかもしれない。
池田さんの句にはそうした〈宿命観〉と、その宿命観を相対化する〈宿命観の相対性〉があるようにおもうんです。
とりかえられた相対性ととりかえられえない絶対性のはざまで。
死んでもいいとおもうことあれどヒロシマ忌 池田澄子
私たちはいまや、運命のモチーフに導かれて、第三のレベル、すなわち〈現実界〉のレベルのすぐ前まで来た。
「手紙はかならず宛先に届く」は、「自分の運命と出会う」という表現が意味するもの、すなわち「私たちはみんな死ぬ」と同じである。
私たちは、理論以前の素朴な感受性によって、「手紙はかならず宛先に届く」という命題にまとわりついている何か不吉なものについて感じている。
誰ひとりとして逃れられない手紙、遅かれ早かれ私たちのもとに届く手紙、私たち一人ひとりを間違いなく受取人にする手紙とは、すなわち死である。
こう言うこともできよう──私たちはある手紙(私たちに死を宣告する手紙)が私たちを探しながらあちこちさまよっている間だけ生きていられるのだ、と。
ジジェク『汝の症候を楽しめ』
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