【感想】すゝしさや臍の真上の天の川 正岡子規
- 2015/07/08
- 12:00
すゝしさや臍の真上の天の川 正岡子規
しぐるるや蒟蒻冷えて臍の上 〃
【七夕バトルロワイヤル-七夕に、たちむかうPARTⅡ】
七夕ですね(いや終わった)。
七夕といえば、天の川です(いや終わった)。
はらだ有彩さんが七夕伝説と距離をめぐる女の子について文章を書かれていて、それを読んだときにおもったんですが、「七夕」=「天の川」っていうのは〈きょり〉をめぐる物語なんですね(それは終わってない。はじめよう)。
で、こんかいは天の川とへそときょりをめぐる物語になるはずなんですが、子規はへそが好きだったんじゃないかとおもうんですよね。
で、これはもちろん病床の〈横の身体〉としてのへその意味もあるとおもいます。
もしじぶんが〈横の身体〉で世界を把持しなければならないとしたら、ぎゃくに、俳句によって〈へそ〉という中心をみいだし、そのへそから世界をとらえなおし、読み直していく。
天の川をみられない天の川から途方もなく離れたわたし、ではなく、わたしの真上に存在する天の川として、天の川さえもへそのなかに領略していく。
だからこれもひとつのきょりの物語なんだとおもいます。
じつはですね、七夕といえば、織姫と彦星のきょりばかりが取り沙汰されるけれど、そうではなくて、わたしたちと天の川のきょりがだいじなのではないかとおもうんです。
わたしたちが、言語をかいして、メディアをかいして、身体をかいして、他者をかいして、どのように、ふいうちで、おもいがけなく、天の川と、であおうとするか、もしくは、積極的にであい《そびれる》か。
そのひとつの、こたえが、へそ、です。
あるいは、まるで、こんなふうに、ニーチェのような、無へそからの天の川への積極的忘却もあります。
織姫「すなわち、」、彦星「それは、」
天の川ここには何もなかりけり 冨田拓也
しぐるるや蒟蒻冷えて臍の上 〃
【七夕バトルロワイヤル-七夕に、たちむかうPARTⅡ】
七夕ですね(いや終わった)。
七夕といえば、天の川です(いや終わった)。
はらだ有彩さんが七夕伝説と距離をめぐる女の子について文章を書かれていて、それを読んだときにおもったんですが、「七夕」=「天の川」っていうのは〈きょり〉をめぐる物語なんですね(それは終わってない。はじめよう)。
で、こんかいは天の川とへそときょりをめぐる物語になるはずなんですが、子規はへそが好きだったんじゃないかとおもうんですよね。
で、これはもちろん病床の〈横の身体〉としてのへその意味もあるとおもいます。
もしじぶんが〈横の身体〉で世界を把持しなければならないとしたら、ぎゃくに、俳句によって〈へそ〉という中心をみいだし、そのへそから世界をとらえなおし、読み直していく。
天の川をみられない天の川から途方もなく離れたわたし、ではなく、わたしの真上に存在する天の川として、天の川さえもへそのなかに領略していく。
だからこれもひとつのきょりの物語なんだとおもいます。
じつはですね、七夕といえば、織姫と彦星のきょりばかりが取り沙汰されるけれど、そうではなくて、わたしたちと天の川のきょりがだいじなのではないかとおもうんです。
わたしたちが、言語をかいして、メディアをかいして、身体をかいして、他者をかいして、どのように、ふいうちで、おもいがけなく、天の川と、であおうとするか、もしくは、積極的にであい《そびれる》か。
そのひとつの、こたえが、へそ、です。
あるいは、まるで、こんなふうに、ニーチェのような、無へそからの天の川への積極的忘却もあります。
織姫「すなわち、」、彦星「それは、」
天の川ここには何もなかりけり 冨田拓也
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