【こわい川柳 第六十話】リンスする死人に水を遣るように 竹井紫乙
- 2015/07/10
- 00:07
リンスする死人に水を遣るように 竹井紫乙
【リンスと魂】
詩人の高橋順子さんがひとが毎日洗髪するのは植物のように髪に水を与えて育てるためだっていう詩を書かれているんですね。
で、高橋順子さんの詩も、しおとさんの句でも共通していることは、洗髪はじつは〈生死〉の問題とも通底しているということです。
これはすこし文化の枠組みでかんがえてみれば、たとえばキリスト教の洗礼、水に《頭まで》浸かってキリスト教に入信する儀式と似通っていることにもきづきます。
またその洗礼という文化が、たとえばドラマのなかで告白するときはいつもびしょぬれだったり雨のなかだったりする。それはなぜなのかという問題ともかかわってきます。洗髪=洗礼=雨という、ひとが《頭から》水をかぶることによって、生まれ変わったり、本音や本心や内面が露呈したり、生死に抵触していくこと。
で、紫乙さんのこの「リンス」がいいな、とおもうんですよね。シャンプーでもトリートメントでもなく、「リンス」ですね。
「リンス」ってふしぎですよね。シャンプーは明らかに洗い落とすためのものなんですが、リンスは塗布して流すわけです。ただ流しきってもいけない。髪の毛を補修するのがリンスですから、流しきるのは意味がない。
じつは「リンス」の仕組みや機構ってオカルトでだれもよくわかってないんじゃないかとおもうんですよね(さいきんはほとんどトリートメントになっていますが)。
あと「リンス」は白いぬるぬるした液体ですが、あわだつわけでもないので、その性質をたもちながら、うすく、のばされていくわけです。ちょっと思い切っていえば〈たましい〉にも似たところがあるのが、リンスかもしれない。たましいはみたことがないけれど、でもたましいはリンスの成分にちかいようなきもします。
で、ですね。かんがえてみると、じつは、洗髪そのものがオカルトです。めをつぶりますよね。めをつぶって、洗う。みえない、闇のなかで、実質的なことをする。機能させる。これはじゅうぶんオカルトなんじゃないかとおもうんですよね。そのあいだ、うしろにだれがいてもわからないわけですから。
ということは、浴室っていうのはいつもオカルトに満ちた空間なんだともいえそうです。
だいたい浴室がこわくないわけがないんですよ。全裸という無防備、密室、鏡、暗闇、湯気、水、たましい、うしろにひと、水中にもひと、鏡のなかにもひと、リンスのボトルのなかにもちいさいひと、めをつぶると暗闇にもひと、そうしてふっとあかりがきえる。あまりにも静かすぎて。無人だとおもわれて。そんざいかん。
目かくしをはずれてくれた君はどこ 竹井紫乙
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