【お知らせ】「〈ののののののののののののののののののののの〉実況中継-森川雅美「五つの文字の変容」のやぎもとの〈ののの〉現場リポート-」『詩客』
- 2015/07/13
- 20:58
俳句自由詩合同企画評のお話をいただき、『詩客』に「森川雅美「五つの文字の変容」のやぎもとの〈ののの〉現場リポート−」という文章を載せていただきました。『詩客』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
さいきんずっとわたしは〈とととと〉についてかんがえていたんですが、せっかくなのでこのまま〈のののの〉のこともかんがえようとおもい、〈とととと〉から〈のののの〉へ移行していきました。
そこでだんだんわかってきたことですが、或いは森川雅美さんから教えていただいたことでもあるのですが、ひらが一音にしても、それがたとえばどのような品詞に適用できるかについてその〈語感〉のありかたが変わってきます。ひらがな一音にさえもじつは構造があるのですが、その構造のありかたが変わってくるのです。
たとえば、「の」は、「野のNoの飲」というふうに、助詞としてつなぐかたちでも使えるので「の」一音でもさまざまな文をつくれるのですが、「し」は「詩し史」と助詞としてつなぐことはできないので文をつくるうえで「詩と史」などほかの音節が介入してきます。
するとどうなるかというと、だんだんと、〈意味ある文〉にちかづいていってしまうんですね。
一音だけで対応できるということは、意味のアナーキーをつくることができるのですが、一音が名詞などにせばめられてしまった場合は、だんだんと秩序やコスモスを形成しなければならなくなる。
これはじつはひとの主体のありかたにもすこし近いのかなともおもいます。そのひとの属性が不明な場合は、そのひとがカオスに思えますが、このひとはこういうひとだと〈品詞分類〉した場合、だんだんとそのひとは秩序だてられていくわけです。
でもたぶん表現するということはそういう〈品詞分類〉されても、なおその〈分類〉を越えでてしまう、はみでてしまうことの実践なのではないかとおもうんです。つまり、じぶんがさまざまな品詞をおもいがけなく手にしていく過程、いうなれば〈のののののののののののののの〉王国におもむくことなのではないでしょうか。
つまり、〈うなぎいぬ〉のような〈分類〉できない場所をめざすことが表現や詩の作業になるのではないか。
さいごにたくさんののを、意味もなく、意味にいきつかないようなかたちで、いってからおわりにしたいとおもいます。
ののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののとの
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
さいきんずっとわたしは〈とととと〉についてかんがえていたんですが、せっかくなのでこのまま〈のののの〉のこともかんがえようとおもい、〈とととと〉から〈のののの〉へ移行していきました。
そこでだんだんわかってきたことですが、或いは森川雅美さんから教えていただいたことでもあるのですが、ひらが一音にしても、それがたとえばどのような品詞に適用できるかについてその〈語感〉のありかたが変わってきます。ひらがな一音にさえもじつは構造があるのですが、その構造のありかたが変わってくるのです。
たとえば、「の」は、「野のNoの飲」というふうに、助詞としてつなぐかたちでも使えるので「の」一音でもさまざまな文をつくれるのですが、「し」は「詩し史」と助詞としてつなぐことはできないので文をつくるうえで「詩と史」などほかの音節が介入してきます。
するとどうなるかというと、だんだんと、〈意味ある文〉にちかづいていってしまうんですね。
一音だけで対応できるということは、意味のアナーキーをつくることができるのですが、一音が名詞などにせばめられてしまった場合は、だんだんと秩序やコスモスを形成しなければならなくなる。
これはじつはひとの主体のありかたにもすこし近いのかなともおもいます。そのひとの属性が不明な場合は、そのひとがカオスに思えますが、このひとはこういうひとだと〈品詞分類〉した場合、だんだんとそのひとは秩序だてられていくわけです。
でもたぶん表現するということはそういう〈品詞分類〉されても、なおその〈分類〉を越えでてしまう、はみでてしまうことの実践なのではないかとおもうんです。つまり、じぶんがさまざまな品詞をおもいがけなく手にしていく過程、いうなれば〈のののののののののののののの〉王国におもむくことなのではないでしょうか。
つまり、〈うなぎいぬ〉のような〈分類〉できない場所をめざすことが表現や詩の作業になるのではないか。
さいごにたくさんののを、意味もなく、意味にいきつかないようなかたちで、いってからおわりにしたいとおもいます。
ののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののとの
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