【こわい川柳 第六十五話・六十六話】らっきょうと明太子の怪-月波与生と井上一筒-
- 2015/07/20
- 17:24
振り向けばらっきょうだけに見送られ 月波与生
(『おかじょうき』2015年7月)
【見送るらっきょう、追い回す明太子】
さいきん、川柳では食べ物がこわいんじゃないかと思っているところがあって、じゃあなんでこわいのかというと、どうも川柳の世界では、食べ物たちが、わたしたちと同等の人格を有しているからなんじゃないかとおもうんですね。
たとえば月波さんのらっきょうに見送られてしまっている句なんですが、らっきょうが「見送る」ということは、「見送る」ことができるだけの〈人格〉をらっきょうが兼ね備えたということも同時に示しています。
しかも「見送る」ですから、もしかすると見送られる〈わたし〉よりも、見送る〈らっきょう〉のほうが、〈人格者〉かもしれないこわさがあります。
この〈わたし〉を見届けるのがらっきょうなのです。しかもこの見送られる〈わたし〉が、「らっきょうだけ」と語っているように見送ってくれるものが「らっきょう」しかいなかった。「振り向けば」と期待して振り向いたら、らっきょうだけだった。
「らっきょうだけにしか」見送られない〈わたし〉と、たとえらっきょうだけでもそのらっきょうとしてきちんと見送ろうとする〈らっきょう〉。
ここには、〈わたし〉と〈らっきょう〉の格差がことばの配置によってつくられているようにもおもいます。実は〈わたし〉よりも〈らっきょう〉のほうが格上なんじゃないかと。
さて、今回は二話仕立てなのですが、背後からやってくる食べ物は、まだいるのです。
JR車掌明太子から逃げる 井上一筒
(『川柳 北田辺』58号・2015年7月)
これは、どうしたことなんでしょうか。
こんどはらっきょうから「見送られ」るのではなく、明太子から「追い回され」ています。
ここで注意してみたいのがただの「車掌」ではなくて、「JR車掌」であるということです。
この「車掌」は「明太子」から逃げる際に、「JR」を背負って逃げているわけです。それを語り手はおそらく目撃して、きちんと会社名も冠して語っている。
ということは、ある意味で、「JR」なのにもかかわらず、その「JR」を背負ってしても、「車掌」は「逃げ」てしまったわけです。「明太子から」。
つまりここでは「明太子」のパワーの方が「JR」に勝っている。ところが「JR」は社会インフラで、民営化されてはいても、ある意味、公共機関ですから、「明太子」に負けて逃げてもらってはこまるわけです。ところが「明太子から逃げ」だしてしまった。
こうして読んでみたときに、とつぜんこの句の〈公共機関にふいに侵入する不条理としてのヒューマンエラーとリスク〉という緊張感が生起するのではないかとおもうんですね。
そういうことが起こり得る社会にすんでいるとおもうんです。
とつぜん、電車が動かない。新幹線が動かない。
なぜか。
車掌が明太子から逃げたから。
でも、それはありうることがわかる。
こうしてみると、川柳において食べ物はパワーバランスの崩壊を暗示しているようにもおもうのです。
おまえのその〈いつも〉の場所は、ほんとうに安全な場所なのかと。
アンパンの惰眠 ジャムおじさんがいない 奈良一艘
- 関連記事
-
-
【こわい川柳 第九十六話】もう一度くるさようなら-重森恒雄- 2015/10/22
-
【こわい川柳 第四十話】町内にひとり位はヌーがいる くんじろう 2015/06/22
-
【こわい川柳 第六十九話】だんだんこわくなる-草地豊子- 2015/07/22
-
【こわい川柳 第四十五話】真夜中の廊下に母が立っていた 田村ひろ子 2015/06/25
-
【こわい川柳 第三十七話】ろうそくを何本立てても私 蟹口和枝 2015/06/19
-
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:こわい川柳-川柳百物語-