【こわい川柳 第六十九話】だんだんこわくなる-草地豊子-
- 2015/07/22
- 13:30
眠りましょうだんだん怖くなる童話 草地豊子
【足し算こわい】
『セレクション柳人番外 草地豊子集』から草地さんの句です。
で、ですね。草地さんの川柳のこわさというかおもしろさのひとつに〈足し算はこわい〉というのがあるようにおもうんです。
なにかを足すということはただそれだけで意味性が違った方向にどんどん加速していくことがある。
で、その加速のなかでほんとうはじぶんが足していたはずなのに、いつのまにか足し算そのもののスピードに巻き込まれていき、じぶんの主体をみうしないそうになる。
そういう足し算の恐怖が草地さんの句にはあるのではないかとおもうんですね。
ちょっと〈足し算の意味性〉をもとに抜いた句をあげてみますね。
紙たしてたしてキリンの首を画く 草地豊子
ソフトクリームの天辺ちょっとミステリー 〃
階段の三、四段に置く荷物 〃
目薬の高さをふっと考える 〃
血が濃くて奥へ奥へと吊るランプ 〃
どれも足し算的な意味性の発露なんじゃないかとおもうんですね。
大事なことはですね、ひとはそれそのもの、やっていることそのものに意味があるんではなくて、それを重ねてやっていくうちにあるズレがふいにきて、そのズレとともにじぶんがやっていることに巻き込まれていくことなんではないかとおもうんです。
実は川柳などの短詩もそうではないかとおもうんです。
定型詩っていうのは短詩というように短いですから、一句おわるとすぐ次の句がきます。そうやってたしてたしてたしてたして描いていくのが短詩です。
ところがそのたしていったときに、一句一句は終わっているはずなのに、たしていったことの意味性がふいに発露されることがある。逆にいえば、たしていかないとたどりつけない意味の発露も、ある。
その意味の発露こそ、歌集や句集と呼ばれるパッケージングのダイナミクスじゃないのかなとおもうんですよ。
でも物語じゃないから、歌集や句集を読んでいるうちにふいうちのようにやってきた足し算の意味の発露のとうとつさに、映画を途中から観せられてしまったような不気味さと小気味よい快楽も感じることがあるはずです。
ひとは、どこかで、映画を途中から暴力的にみせられることをのぞんでいるのではないかとも、おもうのです。
足し算のきょうふを。
花に水たっぷりやって逃げましょう 草地豊子
【足し算こわい】
『セレクション柳人番外 草地豊子集』から草地さんの句です。
で、ですね。草地さんの川柳のこわさというかおもしろさのひとつに〈足し算はこわい〉というのがあるようにおもうんです。
なにかを足すということはただそれだけで意味性が違った方向にどんどん加速していくことがある。
で、その加速のなかでほんとうはじぶんが足していたはずなのに、いつのまにか足し算そのもののスピードに巻き込まれていき、じぶんの主体をみうしないそうになる。
そういう足し算の恐怖が草地さんの句にはあるのではないかとおもうんですね。
ちょっと〈足し算の意味性〉をもとに抜いた句をあげてみますね。
紙たしてたしてキリンの首を画く 草地豊子
ソフトクリームの天辺ちょっとミステリー 〃
階段の三、四段に置く荷物 〃
目薬の高さをふっと考える 〃
血が濃くて奥へ奥へと吊るランプ 〃
どれも足し算的な意味性の発露なんじゃないかとおもうんですね。
大事なことはですね、ひとはそれそのもの、やっていることそのものに意味があるんではなくて、それを重ねてやっていくうちにあるズレがふいにきて、そのズレとともにじぶんがやっていることに巻き込まれていくことなんではないかとおもうんです。
実は川柳などの短詩もそうではないかとおもうんです。
定型詩っていうのは短詩というように短いですから、一句おわるとすぐ次の句がきます。そうやってたしてたしてたしてたして描いていくのが短詩です。
ところがそのたしていったときに、一句一句は終わっているはずなのに、たしていったことの意味性がふいに発露されることがある。逆にいえば、たしていかないとたどりつけない意味の発露も、ある。
その意味の発露こそ、歌集や句集と呼ばれるパッケージングのダイナミクスじゃないのかなとおもうんですよ。
でも物語じゃないから、歌集や句集を読んでいるうちにふいうちのようにやってきた足し算の意味の発露のとうとつさに、映画を途中から観せられてしまったような不気味さと小気味よい快楽も感じることがあるはずです。
ひとは、どこかで、映画を途中から暴力的にみせられることをのぞんでいるのではないかとも、おもうのです。
足し算のきょうふを。
花に水たっぷりやって逃げましょう 草地豊子
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