【こわい川柳 第七十話】死はいつも明るいね-石部明-
- 2015/07/24
- 13:00
さびしくて他人のお葬式へゆく 石部明
【にぎやかな死】
『セレクション柳人3 石部明集』からの一句です。
石部さんの句を読んでいると、ときどきおもうんです。
石部明の川柳空間において、〈死〉はカーニバルだったのではないかと。
石部明の川柳においては、〈死〉かにぎやかに反転していく。たとえば掲句の語り手が〈さびしさ〉を感じたときにいちばんにそのさびしさを払拭できる場所としておもいついたのが「お葬式」だったように。
アドリブよ確かに妻をころせたか 石部明
というパフォーマンスと死が同居する演劇空間としてのにぎやかさ。
やわらかい布団の上のたちくらみ 石部明
という、いつかは死を迎えるふとんが〈静〉ではなく〈動〉の場所として規定されるそのしゅんかん。
指で輪を作ると見える霊柩車 石部明
たましいの揺れの激しき洗面器 〃
一本の縄とはしゃいでいる命 〃
石部さんの川柳空間のなかでは〈死〉はいつもにぎやかであり、身体ひとつあれば日常的に奏でることのできる祝祭空間でもある。
ひとはどうしたって〈死〉は語れないわけです。騙る、しかないわけです。だれも死をしらないので。
だとしたら、その死の騙りの極限までヴォリュームをあげてみることで、ぎゃくにそこを突き抜けることで、語れない〈死〉にちかづいてゆくことができるかもしれない。
だれもやったことのない騙り口でなら。
そしてその〈だれもやったことのない〉を可能にするのが定型です。
なぜなら、定型はくちびるにとっては〈不自然さ〉であり、くちびるをつっかえさせ、選択させ、矯正するのが定型だから。
くちびるから〈不自然なメディア〉をとおして、はじめて騙ることができる〈死〉があるということ。
五月の木みんな明るく死んでおり 石部明
【にぎやかな死】
『セレクション柳人3 石部明集』からの一句です。
石部さんの句を読んでいると、ときどきおもうんです。
石部明の川柳空間において、〈死〉はカーニバルだったのではないかと。
石部明の川柳においては、〈死〉かにぎやかに反転していく。たとえば掲句の語り手が〈さびしさ〉を感じたときにいちばんにそのさびしさを払拭できる場所としておもいついたのが「お葬式」だったように。
アドリブよ確かに妻をころせたか 石部明
というパフォーマンスと死が同居する演劇空間としてのにぎやかさ。
やわらかい布団の上のたちくらみ 石部明
という、いつかは死を迎えるふとんが〈静〉ではなく〈動〉の場所として規定されるそのしゅんかん。
指で輪を作ると見える霊柩車 石部明
たましいの揺れの激しき洗面器 〃
一本の縄とはしゃいでいる命 〃
石部さんの川柳空間のなかでは〈死〉はいつもにぎやかであり、身体ひとつあれば日常的に奏でることのできる祝祭空間でもある。
ひとはどうしたって〈死〉は語れないわけです。騙る、しかないわけです。だれも死をしらないので。
だとしたら、その死の騙りの極限までヴォリュームをあげてみることで、ぎゃくにそこを突き抜けることで、語れない〈死〉にちかづいてゆくことができるかもしれない。
だれもやったことのない騙り口でなら。
そしてその〈だれもやったことのない〉を可能にするのが定型です。
なぜなら、定型はくちびるにとっては〈不自然さ〉であり、くちびるをつっかえさせ、選択させ、矯正するのが定型だから。
くちびるから〈不自然なメディア〉をとおして、はじめて騙ることができる〈死〉があるということ。
五月の木みんな明るく死んでおり 石部明
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