【感想】桜狩のときの写真に亡霊が写つてゐたら結婚しよう 荻原裕幸
- 2015/07/25
- 00:08
桜狩のときの写真に亡霊が写つてゐたら結婚しよう 荻原裕幸
【短歌でプロポーズしてみよう】
わたし、この歌がとてもすきなんですね。
桜狩って花見のことですよね。
花見のときの写真が心霊写真だったら結婚しよう、と語り手はいっています。
おどろくべきことです。
好きだから結婚しよう、ではなく、心霊写真だったら結婚しよう、なんです。
この歌を作者から離れたテクストとして読んでみることにして、わたしが考えるこの歌のプロポーズをめぐるみっつのポイントをあげてみようとおもいます。
まず、心霊写真は偶然性の産物です。撮ったらたまたま写ってた、が心霊写真です。
いっぽうで結婚をすることは契約として絶対的なものです。偶然、結婚することはないわけです。たまたま結婚しちゃった、とかはない。
だからこの歌では偶然性が絶対性を決めてしまおうとしてるわけです。
ふたつめは、プロポーズなのに主体性が皆無という点です。もちろん、写ってたら結婚しよう、と《提案》していることに主体性はあります。ただそれは提案の主体性であって、結婚の主体性ではありません。提案に対しては「桜狩のときの写真」と詩的・積極的・具体的な語り手ですが、結婚の主体性がありません。そもそも「結婚」に関する情報が、31音もあるなかで7音しかないわけです。あいても、えええっ!? となるはずです。
みっつめは、語り手が述べている「桜狩のときに」という語り方です。ここが大事です。過去のことなんです。だからもう写真は撮られてしまってるわけです。これから、のはなしではないんです。これから意気込んで心霊写真とるとかじゃなく、これから過去の写真を確かめてもしそこにうつってたらなんです。つまり、過去が現在を決定しようとしている、過去に権利を譲渡しているわけです。これからの結婚のことを。
つまり、この歌はプロポーズをめぐるあらゆる約束事の《まぎゃく》をいってるんだとおもうんです。世間であるべきプロポーズのすがたを。プロポーズはこうあらねば、の、まったく反対なん、です。偶然が、わたし以外の誰かが、過去が、結婚を決めようとしている。《わたし》や《あなた》がいまここで決められることはなにもない。ところがそれなのに結句には「結婚しよう」と語り手は自信にみちみちています。
それが、すてきだとおもうんですね。
「結婚しよう」という発話が、あらゆる手段で相対化されてしまうこと。短歌定型という31音の《長さ》があったせいで限定条件をくわえてしまい、人生ここいちばんの決め台詞がてんぷくしちゃうこと。それがすてきなんじゃないかと(つまりある意味で、結婚の意味性よりも短歌の形式性を語り手は選んだということが)。
そして、こういうときに、短歌って《長い》よね、っておもうんです。
たとえば短歌でプロポーズしようとしたときに、「結婚しよう」とだけはいえないわけです。この語り手のようにまずいろいろことばを尽くすひつようがある。そのせいで「結婚しよう」のことばをくつがえすようなことを述べてしまうかもしれない。そのいちばん〈最悪〉で〈最高〉のかたちをあえて語り手は短歌にしたのではないかとおもうのです。もしくは短歌は長いですから、結婚しようを短歌にすると、前置きで〈結婚したくない〉という無意識が発露してしまう場合だってあるわけです。短歌でなければ、結婚しよう、とだけいえたのに、短歌という迂回路をとり、まったく反対の形式をとって、〈結婚したくない〉かたちを短歌化してしまうときが、〈短歌〉にはあるのです。結婚しよう、とはいいながらもまったくべつのかたちをとるというアクロバティックなことが。
そうかんがえると、短歌ってじつは〈危うさ〉といつも同居しているんじゃないかな、ということになります。
何かじぶんがいいたいことがあったとしても、31音定型のなかでは、くつがえされるという〈危うさ〉です。
つまり、短歌って、いいたいことがそのまま打ち出せる表現形式ではないってことです。
短歌というメディアを選択したじてんで、俺は私はあたしはこれがいいたいんだ、ということを選択できない。なぜなら、短歌はてんぷくのメディアだから。
この結婚を阻止したのは、あきらかに、短歌であり、定型なんです。
定型は、結婚を阻止しさえもする。じゃあ、短歌ってなんだろう、定型ってなんなんだろう。すくなくともこの歌が教えてくれるのは、短歌でプロポーズする場合はやばい場合があるということです。短歌はテクストになりうる場合があるから。
短歌はまったく別のひきだしをあけてしまうことがあるのです。
たとえそれが〈二人〉のことであっても。
あなたとわたしのたったふたりしか、いまこの空間にはいないのに。31音の定型が、わたしとあなたのあいだにごそっとうずくまり、じっとこちらを、みつめるのです。やあ、と。
たつた二人、なのか二人で深いのか家族の闇にすわりつづけぬ 岡井隆
【短歌でプロポーズしてみよう】
わたし、この歌がとてもすきなんですね。
桜狩って花見のことですよね。
花見のときの写真が心霊写真だったら結婚しよう、と語り手はいっています。
おどろくべきことです。
好きだから結婚しよう、ではなく、心霊写真だったら結婚しよう、なんです。
この歌を作者から離れたテクストとして読んでみることにして、わたしが考えるこの歌のプロポーズをめぐるみっつのポイントをあげてみようとおもいます。
まず、心霊写真は偶然性の産物です。撮ったらたまたま写ってた、が心霊写真です。
いっぽうで結婚をすることは契約として絶対的なものです。偶然、結婚することはないわけです。たまたま結婚しちゃった、とかはない。
だからこの歌では偶然性が絶対性を決めてしまおうとしてるわけです。
ふたつめは、プロポーズなのに主体性が皆無という点です。もちろん、写ってたら結婚しよう、と《提案》していることに主体性はあります。ただそれは提案の主体性であって、結婚の主体性ではありません。提案に対しては「桜狩のときの写真」と詩的・積極的・具体的な語り手ですが、結婚の主体性がありません。そもそも「結婚」に関する情報が、31音もあるなかで7音しかないわけです。あいても、えええっ!? となるはずです。
みっつめは、語り手が述べている「桜狩のときに」という語り方です。ここが大事です。過去のことなんです。だからもう写真は撮られてしまってるわけです。これから、のはなしではないんです。これから意気込んで心霊写真とるとかじゃなく、これから過去の写真を確かめてもしそこにうつってたらなんです。つまり、過去が現在を決定しようとしている、過去に権利を譲渡しているわけです。これからの結婚のことを。
つまり、この歌はプロポーズをめぐるあらゆる約束事の《まぎゃく》をいってるんだとおもうんです。世間であるべきプロポーズのすがたを。プロポーズはこうあらねば、の、まったく反対なん、です。偶然が、わたし以外の誰かが、過去が、結婚を決めようとしている。《わたし》や《あなた》がいまここで決められることはなにもない。ところがそれなのに結句には「結婚しよう」と語り手は自信にみちみちています。
それが、すてきだとおもうんですね。
「結婚しよう」という発話が、あらゆる手段で相対化されてしまうこと。短歌定型という31音の《長さ》があったせいで限定条件をくわえてしまい、人生ここいちばんの決め台詞がてんぷくしちゃうこと。それがすてきなんじゃないかと(つまりある意味で、結婚の意味性よりも短歌の形式性を語り手は選んだということが)。
そして、こういうときに、短歌って《長い》よね、っておもうんです。
たとえば短歌でプロポーズしようとしたときに、「結婚しよう」とだけはいえないわけです。この語り手のようにまずいろいろことばを尽くすひつようがある。そのせいで「結婚しよう」のことばをくつがえすようなことを述べてしまうかもしれない。そのいちばん〈最悪〉で〈最高〉のかたちをあえて語り手は短歌にしたのではないかとおもうのです。もしくは短歌は長いですから、結婚しようを短歌にすると、前置きで〈結婚したくない〉という無意識が発露してしまう場合だってあるわけです。短歌でなければ、結婚しよう、とだけいえたのに、短歌という迂回路をとり、まったく反対の形式をとって、〈結婚したくない〉かたちを短歌化してしまうときが、〈短歌〉にはあるのです。結婚しよう、とはいいながらもまったくべつのかたちをとるというアクロバティックなことが。
そうかんがえると、短歌ってじつは〈危うさ〉といつも同居しているんじゃないかな、ということになります。
何かじぶんがいいたいことがあったとしても、31音定型のなかでは、くつがえされるという〈危うさ〉です。
つまり、短歌って、いいたいことがそのまま打ち出せる表現形式ではないってことです。
短歌というメディアを選択したじてんで、俺は私はあたしはこれがいいたいんだ、ということを選択できない。なぜなら、短歌はてんぷくのメディアだから。
この結婚を阻止したのは、あきらかに、短歌であり、定型なんです。
定型は、結婚を阻止しさえもする。じゃあ、短歌ってなんだろう、定型ってなんなんだろう。すくなくともこの歌が教えてくれるのは、短歌でプロポーズする場合はやばい場合があるということです。短歌はテクストになりうる場合があるから。
短歌はまったく別のひきだしをあけてしまうことがあるのです。
たとえそれが〈二人〉のことであっても。
あなたとわたしのたったふたりしか、いまこの空間にはいないのに。31音の定型が、わたしとあなたのあいだにごそっとうずくまり、じっとこちらを、みつめるのです。やあ、と。
たつた二人、なのか二人で深いのか家族の闇にすわりつづけぬ 岡井隆
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