【感想】じいさんがゆっくり逃げるばあさんをゆっくりとゆっくりと追いかける 岡野大嗣
- 2015/07/31
- 12:00
じいさんがゆっくり逃げるばあさんをゆっくりとゆっくりと追いかける 岡野大嗣
【老齢と再生】
この歌、ふしぎでおもしろい歌だなあとおもって前から考えていたんですが、わたしは岡野さんの歌集によくみられる〈反復〉の主題のカテゴリーにある歌なのかな、っておもってたんです。
でも次の歌をみたときに、これは〈反復〉と同時に〈エイジング(齢を重ねること=老齢化)〉の主題にもあるのかなっておもったんです。
この歌です。
ああそんなちっさい文字の死にたさはじき老眼で見づらくなるよ 岡野大嗣
この「老眼」ですね。
この「老眼」が、ゆっくりとゆっくりと追いかける「じいさん」とゆっくり逃げる「ばあさん」と響きあっているんじゃないかとおもって。
で、ですね。
岡野さんの歌集には発作的な死がある意味でとうとつにあらわれているわけです。
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい 岡野大嗣
この「もういやだ死にたい」です。
ところがこの歌集は一方でエイジング(歳を重ねること)の主題をつくっている。
「ちっさい文字の死にたさはじき老眼で見づらくなる」というように、エイジングが発作的な死を解消するわけです。
すなわち別のいいかたをするならば、年をとることというのは時間の過程や厚みとしてのプロセスを生き、その身体にひきうけていくことです。
その時間のプロセスが発作的な死にたいという衝動をかきけしてくれる。
それがこの歌集のエイジングなんです。
としをとることというのは、実は弱っていくことではない。
強くなっていくこと、タフになっていくことなんです。
ここでおじいさん・おばあさんの歌にもどると、これはともかく「ゆっくり」を反復させることで、時間の厚みを生み出そうとする歌だとおもうんです。
おじいさん・おばあさんという身体に時間の厚みをひきうけたひとが、さらにゆっくり・ゆっくり・ゆっくりと逃げ・追うことでそこには時間の長大なプロセスがかたちづくられる。
そこに〈死の遅延〉としての〈生〉がうまれてくる。
さきほどの「ほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」は、この「ゆっくり」の三連コンボでこそ、生み出されるようにおもうんですよ。
となるとです。
岡野さんの歌集において〈反復〉する歌はとても数がおおいのですが、この〈反復〉とは〈エイジング〉の側面からもとらえることができるはずです。
すなわち、岡野さんの歌は、おなじ言葉を〈あえて〉繰り返すことで、歌じたいが歳を重ね、生きようとしているのだと。
そう思うと、このおじいさんとおばあさんの歌は〈生きようとすること〉をマックスで追い求める〈生への活動〉としてのエロスの歌なんじゃないかとおもうのです。
死んでから時間の経った葉の方が踏んづけたときいい音がする 岡野大嗣
【老齢と再生】
この歌、ふしぎでおもしろい歌だなあとおもって前から考えていたんですが、わたしは岡野さんの歌集によくみられる〈反復〉の主題のカテゴリーにある歌なのかな、っておもってたんです。
でも次の歌をみたときに、これは〈反復〉と同時に〈エイジング(齢を重ねること=老齢化)〉の主題にもあるのかなっておもったんです。
この歌です。
ああそんなちっさい文字の死にたさはじき老眼で見づらくなるよ 岡野大嗣
この「老眼」ですね。
この「老眼」が、ゆっくりとゆっくりと追いかける「じいさん」とゆっくり逃げる「ばあさん」と響きあっているんじゃないかとおもって。
で、ですね。
岡野さんの歌集には発作的な死がある意味でとうとつにあらわれているわけです。
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい 岡野大嗣
この「もういやだ死にたい」です。
ところがこの歌集は一方でエイジング(歳を重ねること)の主題をつくっている。
「ちっさい文字の死にたさはじき老眼で見づらくなる」というように、エイジングが発作的な死を解消するわけです。
すなわち別のいいかたをするならば、年をとることというのは時間の過程や厚みとしてのプロセスを生き、その身体にひきうけていくことです。
その時間のプロセスが発作的な死にたいという衝動をかきけしてくれる。
それがこの歌集のエイジングなんです。
としをとることというのは、実は弱っていくことではない。
強くなっていくこと、タフになっていくことなんです。
ここでおじいさん・おばあさんの歌にもどると、これはともかく「ゆっくり」を反復させることで、時間の厚みを生み出そうとする歌だとおもうんです。
おじいさん・おばあさんという身体に時間の厚みをひきうけたひとが、さらにゆっくり・ゆっくり・ゆっくりと逃げ・追うことでそこには時間の長大なプロセスがかたちづくられる。
そこに〈死の遅延〉としての〈生〉がうまれてくる。
さきほどの「ほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」は、この「ゆっくり」の三連コンボでこそ、生み出されるようにおもうんですよ。
となるとです。
岡野さんの歌集において〈反復〉する歌はとても数がおおいのですが、この〈反復〉とは〈エイジング〉の側面からもとらえることができるはずです。
すなわち、岡野さんの歌は、おなじ言葉を〈あえて〉繰り返すことで、歌じたいが歳を重ね、生きようとしているのだと。
そう思うと、このおじいさんとおばあさんの歌は〈生きようとすること〉をマックスで追い求める〈生への活動〉としてのエロスの歌なんじゃないかとおもうのです。
死んでから時間の経った葉の方が踏んづけたときいい音がする 岡野大嗣
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の短歌感想