【感想】きみの手の甲にほくろがあるでしょうそれは私が飛び込んだ痕 鈴木晴香
- 2015/08/03
- 18:58
きみの手の甲にほくろがあるでしょうそれは私が飛び込んだ痕 鈴木晴香
【キズ/ナ】
わたし、この歌とてもすきなんですね。
ほくろってね、偶然性の「跡」だとおもうんですね。
たとえばわたしにもほくろがあるんだけれども、そこにほくろがあることはわたしにとっては偶発的なことだし、そうした偶有性をかかえて死んでいくことになるんだな、とおもっていたんです。このうたにあうまでは。
この歌がいちばんすごいなとおもうのは、たまたまそこにあっただけの偶然性としての「ほくろ」の「跡」を、「私が飛び込んだ」という必然性としての「ほくろ」の「痕」に読み替えている点だとおもうんです。
しかも「痕」ですから、それは〈傷・痕〉なわけです。
わたしがあなたを傷つけたその過去の〈痕・跡〉が「ほくろ」なわけです。
ここには、ふたつのわたしとあなたの時間をとおした関係性があります。
まず、過去においてわたしとあなたには関係があったという過去から現在への〈たて〉の時間軸をあなたのほくろに与えること。
そして、いまここという現在の時間軸において「ほくろ」というメディアを介して、わたしとあなたがつねにつながりつづけているという現在の〈よこ〉の時間軸をもほくろに与えること。
つまりですね、この歌は、「ほくろ」というものを時間のたて・よこの立体的な時間の交錯をとおして、〈わたし〉と〈あなた〉をつなぐメディアにしているんです。おそらくはこの・わたしのあなたへの〈ダイヴ〉という〈象徴的な死〉とひきかえに。
だからその傷・痕は、ダイヴし、飛び込んだわたしが背負う疵・痕でもある。でもそれによってこの傷痕としてのほくろは「名」をあたえられたのです。たったひとつの名前を。
「ほくろ」は〈これまで〉と〈これから〉のきみとわたしの時間をつなぐキズ/アト/キズ/ナに、なる。
君がまだ起きている部屋ぢぢぢぢと明かりにぶつかる虻になりたい 鈴木晴香
【キズ/ナ】
わたし、この歌とてもすきなんですね。
ほくろってね、偶然性の「跡」だとおもうんですね。
たとえばわたしにもほくろがあるんだけれども、そこにほくろがあることはわたしにとっては偶発的なことだし、そうした偶有性をかかえて死んでいくことになるんだな、とおもっていたんです。このうたにあうまでは。
この歌がいちばんすごいなとおもうのは、たまたまそこにあっただけの偶然性としての「ほくろ」の「跡」を、「私が飛び込んだ」という必然性としての「ほくろ」の「痕」に読み替えている点だとおもうんです。
しかも「痕」ですから、それは〈傷・痕〉なわけです。
わたしがあなたを傷つけたその過去の〈痕・跡〉が「ほくろ」なわけです。
ここには、ふたつのわたしとあなたの時間をとおした関係性があります。
まず、過去においてわたしとあなたには関係があったという過去から現在への〈たて〉の時間軸をあなたのほくろに与えること。
そして、いまここという現在の時間軸において「ほくろ」というメディアを介して、わたしとあなたがつねにつながりつづけているという現在の〈よこ〉の時間軸をもほくろに与えること。
つまりですね、この歌は、「ほくろ」というものを時間のたて・よこの立体的な時間の交錯をとおして、〈わたし〉と〈あなた〉をつなぐメディアにしているんです。おそらくはこの・わたしのあなたへの〈ダイヴ〉という〈象徴的な死〉とひきかえに。
だからその傷・痕は、ダイヴし、飛び込んだわたしが背負う疵・痕でもある。でもそれによってこの傷痕としてのほくろは「名」をあたえられたのです。たったひとつの名前を。
「ほくろ」は〈これまで〉と〈これから〉のきみとわたしの時間をつなぐキズ/アト/キズ/ナに、なる。
君がまだ起きている部屋ぢぢぢぢと明かりにぶつかる虻になりたい 鈴木晴香
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