【感想】花氷よりメキシコが溢れさう Y音絵
- 2015/08/18
- 00:42
花氷よりメキシコが溢れさう Y音絵
【俳句とメキシコ】
俳句のなかの〈メキシコ〉って少し気になっていて、俳句とメキシコといえばたとえばこんな句があったとおもいます。
メキシコ料理店のように大降り 小野裕三
こんなふうにみてみると、〈メキシコ〉っていうのは、〈あふれくるう〉ものとしてあるんじゃないかとおもうんです。で、たぶんこれは「メキシコ」そのものとはあまり関係がなくて、表象のなかのメキシコ性が大事になってくる〈メキシコ〉だとおもうんです。
花氷よりあふれくるうメキシコ、メキシコ料理店のような激しいあふれくるう雨。〈わたし〉とは遠いかなたにあるものなのだけれども、メキシコと発話したしゅんかん、どっとあふれるようななにか。
このような国名表象の系譜というのは短詩においてあるのではないかと思っていてたとえば、
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘
老犬の血のなかにさえアフリカは目ざめつつありおはよう、母よ 寺山修司
たとえばこの二首は〈アフリカ〉表象だとおもうんです。サバンナという遠い言語の通じない絶対的他者的場所に「だるいせつないこわいさみしい」という粘着的なモノローグを投げかける語り手、「老犬」のなかの遠いちからのつながりとしての「アフリカ」を感じ取りながら、〈わたし〉と「母」のつながりが「おはよう」という〈身近)なことばで結ばれる寺山の短歌。
だからたとえば、穂村さんのサバンナの短歌を、こんなふうに置換してみた場合、なんだかあふれくるう生としてぎゃくにことばが「象のうんこ」に届いてしまうきがするのです。この「象のうんこ」なら、ちゃんときいてくれそうな、きがするんだ。
メキシコの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘(改メキシコ)
【俳句とメキシコ】
俳句のなかの〈メキシコ〉って少し気になっていて、俳句とメキシコといえばたとえばこんな句があったとおもいます。
メキシコ料理店のように大降り 小野裕三
こんなふうにみてみると、〈メキシコ〉っていうのは、〈あふれくるう〉ものとしてあるんじゃないかとおもうんです。で、たぶんこれは「メキシコ」そのものとはあまり関係がなくて、表象のなかのメキシコ性が大事になってくる〈メキシコ〉だとおもうんです。
花氷よりあふれくるうメキシコ、メキシコ料理店のような激しいあふれくるう雨。〈わたし〉とは遠いかなたにあるものなのだけれども、メキシコと発話したしゅんかん、どっとあふれるようななにか。
このような国名表象の系譜というのは短詩においてあるのではないかと思っていてたとえば、
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘
老犬の血のなかにさえアフリカは目ざめつつありおはよう、母よ 寺山修司
たとえばこの二首は〈アフリカ〉表象だとおもうんです。サバンナという遠い言語の通じない絶対的他者的場所に「だるいせつないこわいさみしい」という粘着的なモノローグを投げかける語り手、「老犬」のなかの遠いちからのつながりとしての「アフリカ」を感じ取りながら、〈わたし〉と「母」のつながりが「おはよう」という〈身近)なことばで結ばれる寺山の短歌。
だからたとえば、穂村さんのサバンナの短歌を、こんなふうに置換してみた場合、なんだかあふれくるう生としてぎゃくにことばが「象のうんこ」に届いてしまうきがするのです。この「象のうんこ」なら、ちゃんときいてくれそうな、きがするんだ。
メキシコの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘(改メキシコ)
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