【短歌】ほうあんが…(毎日新聞・毎日歌壇2015年8月18日・加藤治郎 選・特選)
- 2015/08/18
- 12:30
ほうあんがかけつしましたほうあんがつうかしました 五七は速度 柳本々々
【加藤治郎さんの選評】安保関連法案のことだろう。平仮名が空疎感を表している。五七は短歌の律か。状況から遠ざかる私がいる。
加藤治郎さんの『短歌レトリック入門』にこんな記述があるんです。
破調は、歌のリズムとりわけ句を読み下す速度感を自在に操る技法だと言えます。短歌の読者には、五・七・五・七・七と読もうとする強固な定型意識があります。ですから、もしそこに音の過不足があったら、戸惑いがあるでしょうし、また、補正して読もうとする意識・無意識が働くのでしょう。一般に、音が増えればその句の速度感はアップすると言えます。
破調というのは速度をコントロールするものという文章なんですが、逆の考え方をすれば、定型を遵守するということは〈なめらかな速度〉の遵守、定型のなかで速度違反を犯さないということになるとおもうんですよね。
だから定型ってなにかといえばひとつは〈速度〉への向き合い方があからさまにでる〈場〉だといえるとおもうんですよ。
もちろん定型は共有化された公道ですから、そこであからさまな破調=スピード違反を犯されれば、顔をしかめるひともいるわけです。というよりは、ふだん定型を固守しているひとが事故を起こすおそれもあるわけです。もちろん大幅な破調=スピード違反は大きな事故にもつながっていく場合もある。
そういう意味内容としてだけでなく、物語言説の速度の面だけでも〈短歌〉というのはいつも機能しているし、日常の会話レベルでそれとなく〈円滑さ〉として機能しているんじゃないかなっておもうんです。たとえば、つきあってくれ、というときに「この俺とつきあってくれ」と五七でいってみたら、うまく通ったとかですね。そういう、ええと、
短歌は、修辞の王国です。 加藤治郎『短歌レトリック入門』
【加藤治郎さんの選評】安保関連法案のことだろう。平仮名が空疎感を表している。五七は短歌の律か。状況から遠ざかる私がいる。
加藤治郎さんの『短歌レトリック入門』にこんな記述があるんです。
破調は、歌のリズムとりわけ句を読み下す速度感を自在に操る技法だと言えます。短歌の読者には、五・七・五・七・七と読もうとする強固な定型意識があります。ですから、もしそこに音の過不足があったら、戸惑いがあるでしょうし、また、補正して読もうとする意識・無意識が働くのでしょう。一般に、音が増えればその句の速度感はアップすると言えます。
破調というのは速度をコントロールするものという文章なんですが、逆の考え方をすれば、定型を遵守するということは〈なめらかな速度〉の遵守、定型のなかで速度違反を犯さないということになるとおもうんですよね。
だから定型ってなにかといえばひとつは〈速度〉への向き合い方があからさまにでる〈場〉だといえるとおもうんですよ。
もちろん定型は共有化された公道ですから、そこであからさまな破調=スピード違反を犯されれば、顔をしかめるひともいるわけです。というよりは、ふだん定型を固守しているひとが事故を起こすおそれもあるわけです。もちろん大幅な破調=スピード違反は大きな事故にもつながっていく場合もある。
そういう意味内容としてだけでなく、物語言説の速度の面だけでも〈短歌〉というのはいつも機能しているし、日常の会話レベルでそれとなく〈円滑さ〉として機能しているんじゃないかなっておもうんです。たとえば、つきあってくれ、というときに「この俺とつきあってくれ」と五七でいってみたら、うまく通ったとかですね。そういう、ええと、
短歌は、修辞の王国です。 加藤治郎『短歌レトリック入門』
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