【感想】もしも週末があいたら、ぽぽぽぽ島へ行こうよ。-短歌・俳句・川柳における〈ぽ〉の再考-
- 2015/08/20
- 01:00
…ノイズ……
口からEnterあ、あ、あ、秋が洩れてる なかはられいこ
…ノイズ……
【ハイパーノイズの嵐のなかで】
短詩を読んでいてよくよく思うのが、短詩は意味生成のなかでデジタルと《どう》向き合うかということです。
で、わたしはたとえば岡野大嗣さんの短歌はデジタルと親和性がとても高いなと思っていたところがあったのだけれど、たとえば岡野さんには歌をつくる際に〈手〉で書き込むための手帳を携帯していたりなどアナログ的な面もあることをうかがって知った(もしかしたら岡野さんの好きな将棋もデジタル/アナログの淡いにあるものかもしれない)。考えてみると岡野さんの短歌には「ストリートビュー」と「雨」と「降らない雨」と「歩」くことが共存している。
…ノイズ……
雨の日は雨の降らないストリートビューを歩いてきみの家まで 岡野大嗣
…ノイズ……
岡野さんの短歌をそんなふうに読んでみたときにわたしが思ったのは、デジタルの親和性うんぬんがもんだいなのではなくて、問題は、個々人の表現者の表現の磁場のなかでどんなふうにデジタルとアナログの節合地点がみいだされるのか、ということ。もんだいは、そこじゃないかとおもったんですよ。そしてそれはたとえば短歌ならば、1990年代初頭のニューウェーブからずっと引き継いでいる課題なんじゃないかともおもうんです。
…ノイズ……
・恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず……第三歌集『あるまじろん』所収の作品は、万葉仮名がヒントの一つだつた。 荻原裕幸『歌壇1994・9』
…ノイズ……
荻原裕幸さんは「ぽ」を万葉仮名から発想したと書いていらっしゃったんだけれども、でもデジタルとアナログの節合地点をただ一音であらわすなら「ぽ」なのかな、っておもうんです。
…ノイズ……
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一
というのがある。これは、
①驚異性(ただならないこと)
②矮小性(くらげ)
③真理(ひかり)
④超越性(追い抜き)
といった、形而上学的色彩を誰の目にも疑いなく帯びた四つの要素を「ぽ」という一語によって作者が統制してみせた句だ。 小津夜景「【俳誌を読む】ハロー・ワンダーあるいは道徳の原理 『オルガン』創刊号を読む(1) 」
…ノイズ……
「ぽ」に関しては田島健一さんの俳句をとおして小津夜景さんが書いていらしてそれをみたときにまたあらためて「ぽ」についていろいろ考えることができたのですが、ひとつ大事なことは《意味を派生させない》ってことだとおもうんです。小津さんが田島さんの句の四つの要素としてまとめていらした「驚異/矮小/真理/超越性」っていうのを「ぽ」は制御してしまう。だから「ぽ」というのを乱暴にまとめてしまうと、《意味をとっぱらいつつ・成立させる》ってことなのではないかとおもうんですよ。
驚きおののき(驚異)、それでもなんだこんなものかとおもい(矮小)、しかしにもかかわらずそこに他には絶対に得がたいなにかを感じ取り(真理)、それを言語化不可能なものだとおもう(超越性)。そのプロセスを一括し、かつ除去し、かつ存続させるのが「ぽ」だと。
《意味をとっぱらいつつ・成立させる》プロセスが、《ぽ》だと。無意味性の空間を、無根拠に、しかしだれもが納得ゆくかたちで、存在させるもの。ぽ。
で、かんがえてみると、その《無意味性の成立》っておそらくなにげなく、やることもなく、無意味に、退屈に、キーを押す所作そのものでもあるのではないかと。ぽ…ぽ…ぽ…
無意味に発話すること。
でもですね、無意味に《ぽ》と発話するのは恐怖です。なぜなら、みずからが無意味な言語を産出する《ぽ機械》であることを容認せざるをえなくなるからです。ポール・オースターの『幽霊たち』で無意味に言語をしゃべりつづけるひとが出てきますが、とてもこわいです。「ぽぽぽぽ語」をオーラルで話すひとは、こわいのです。
でもですね、これがデジタルデバイスを介在するなら問題はないんですよ。デジタルとはあくまで電子であり、ゼロワンの世界であり、そもそもが0101…なのでむしろ無意味な発話でいい。だからデジタルデバイスをとおせば、《ぽ》は成り立つんだとおもうんです。成り立つんだけれども、荻原さんはその《ぽ》に〈同棲〉という極私的タームを接続させた。これが、荻原さんの表現空間のアナログとデジタルの節合地点だったんじゃないかなとおもうんです。
…ノイズ……
おじゃまにはならないポだと思います ひとり静
…ノイズ……
なかはらさんの句の、「あ、あ、あ、」も意味をもたないんです。それは液晶画面に、点滅している、予測変換を待っている「あ」でもいいし、ねむたくてひじをキーボードにかけたら誤って打ち込まれた「ああああ」でもいい。でも、そのデジタルをなかはらさんは「口」という身体の「開口部」と、「秋」という季節の「開口部」につなげていくわけです。これがなかはらさんの表現空間のアナログとデジタルの節合地点になる。
そういうめいめいの表現者がかかえもつアナログとデジタルの節合地点(not 接合地点)があって、それを十把一絡げにしないで、ひとつひとつ、一首一首、一句一句みていくことがだいじなのかなああああああああああとももでてうふるんです。
…ノイズ……
タ……。タ……。タ……。水滴をまといはじめたむらさきの海老 加藤治郎
…ノイズ……
口からEnterあ、あ、あ、秋が洩れてる なかはられいこ
…ノイズ……
【ハイパーノイズの嵐のなかで】
短詩を読んでいてよくよく思うのが、短詩は意味生成のなかでデジタルと《どう》向き合うかということです。
で、わたしはたとえば岡野大嗣さんの短歌はデジタルと親和性がとても高いなと思っていたところがあったのだけれど、たとえば岡野さんには歌をつくる際に〈手〉で書き込むための手帳を携帯していたりなどアナログ的な面もあることをうかがって知った(もしかしたら岡野さんの好きな将棋もデジタル/アナログの淡いにあるものかもしれない)。考えてみると岡野さんの短歌には「ストリートビュー」と「雨」と「降らない雨」と「歩」くことが共存している。
…ノイズ……
雨の日は雨の降らないストリートビューを歩いてきみの家まで 岡野大嗣
…ノイズ……
岡野さんの短歌をそんなふうに読んでみたときにわたしが思ったのは、デジタルの親和性うんぬんがもんだいなのではなくて、問題は、個々人の表現者の表現の磁場のなかでどんなふうにデジタルとアナログの節合地点がみいだされるのか、ということ。もんだいは、そこじゃないかとおもったんですよ。そしてそれはたとえば短歌ならば、1990年代初頭のニューウェーブからずっと引き継いでいる課題なんじゃないかともおもうんです。
…ノイズ……
・恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず……第三歌集『あるまじろん』所収の作品は、万葉仮名がヒントの一つだつた。 荻原裕幸『歌壇1994・9』
…ノイズ……
荻原裕幸さんは「ぽ」を万葉仮名から発想したと書いていらっしゃったんだけれども、でもデジタルとアナログの節合地点をただ一音であらわすなら「ぽ」なのかな、っておもうんです。
…ノイズ……
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一
というのがある。これは、
①驚異性(ただならないこと)
②矮小性(くらげ)
③真理(ひかり)
④超越性(追い抜き)
といった、形而上学的色彩を誰の目にも疑いなく帯びた四つの要素を「ぽ」という一語によって作者が統制してみせた句だ。 小津夜景「【俳誌を読む】ハロー・ワンダーあるいは道徳の原理 『オルガン』創刊号を読む(1) 」
…ノイズ……
「ぽ」に関しては田島健一さんの俳句をとおして小津夜景さんが書いていらしてそれをみたときにまたあらためて「ぽ」についていろいろ考えることができたのですが、ひとつ大事なことは《意味を派生させない》ってことだとおもうんです。小津さんが田島さんの句の四つの要素としてまとめていらした「驚異/矮小/真理/超越性」っていうのを「ぽ」は制御してしまう。だから「ぽ」というのを乱暴にまとめてしまうと、《意味をとっぱらいつつ・成立させる》ってことなのではないかとおもうんですよ。
驚きおののき(驚異)、それでもなんだこんなものかとおもい(矮小)、しかしにもかかわらずそこに他には絶対に得がたいなにかを感じ取り(真理)、それを言語化不可能なものだとおもう(超越性)。そのプロセスを一括し、かつ除去し、かつ存続させるのが「ぽ」だと。
《意味をとっぱらいつつ・成立させる》プロセスが、《ぽ》だと。無意味性の空間を、無根拠に、しかしだれもが納得ゆくかたちで、存在させるもの。ぽ。
で、かんがえてみると、その《無意味性の成立》っておそらくなにげなく、やることもなく、無意味に、退屈に、キーを押す所作そのものでもあるのではないかと。ぽ…ぽ…ぽ…
無意味に発話すること。
でもですね、無意味に《ぽ》と発話するのは恐怖です。なぜなら、みずからが無意味な言語を産出する《ぽ機械》であることを容認せざるをえなくなるからです。ポール・オースターの『幽霊たち』で無意味に言語をしゃべりつづけるひとが出てきますが、とてもこわいです。「ぽぽぽぽ語」をオーラルで話すひとは、こわいのです。
でもですね、これがデジタルデバイスを介在するなら問題はないんですよ。デジタルとはあくまで電子であり、ゼロワンの世界であり、そもそもが0101…なのでむしろ無意味な発話でいい。だからデジタルデバイスをとおせば、《ぽ》は成り立つんだとおもうんです。成り立つんだけれども、荻原さんはその《ぽ》に〈同棲〉という極私的タームを接続させた。これが、荻原さんの表現空間のアナログとデジタルの節合地点だったんじゃないかなとおもうんです。
…ノイズ……
おじゃまにはならないポだと思います ひとり静
…ノイズ……
なかはらさんの句の、「あ、あ、あ、」も意味をもたないんです。それは液晶画面に、点滅している、予測変換を待っている「あ」でもいいし、ねむたくてひじをキーボードにかけたら誤って打ち込まれた「ああああ」でもいい。でも、そのデジタルをなかはらさんは「口」という身体の「開口部」と、「秋」という季節の「開口部」につなげていくわけです。これがなかはらさんの表現空間のアナログとデジタルの節合地点になる。
そういうめいめいの表現者がかかえもつアナログとデジタルの節合地点(not 接合地点)があって、それを十把一絡げにしないで、ひとつひとつ、一首一首、一句一句みていくことがだいじなのかなああああああああああとももでてうふるんです。
…ノイズ……
タ……。タ……。タ……。水滴をまといはじめたむらさきの海老 加藤治郎
…ノイズ……
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