【こわい川柳 第七十六話】鳴り止まないこの街のサイレン-広瀬ちえみ-
- 2015/08/20
- 12:30
本を読む 遠いサイレン聞きながら 広瀬ちえみ
【サイレン・ディズニーランド・穴】
『セレクション柳人14 広瀬ちえみ集』から広瀬さんの一句です。
さいきん岡野大嗣さんの『サイレンと犀』をずっと読む機会があってから、サイレンについていろいろ考えるようになって、きがついてみると、じつは短詩には「サイレン」がけっこう出てくるんですね。どうも、短詩にとって、サイレンは、だいじらしい。
たとえばこんな〈サイレン短歌〉をみてみましょう。
サイレンの赤いひかりを撒き散らし夢みるように転ぶ白バイ 穂村弘
サイレンは近づいてやむキッチンに水をすくう音のして居り 加藤治郎
サイレンっていうのはなにかといえば、ひとつは〈警告〉です。なにか〈危機的状況〉〈警戒すべき状況〉になっていることを知らせるのがサイレンです。
穂村さんの歌ではそうした〈警告〉としてのサイレンが「赤いひかりを撒き散らし」と〈血〉のように受肉化され、さらにそこからもう一段階「夢みるように転ぶ白バイ」と色が対比されながら虚構のセカイに昇華されていくのが特徴的です。ここでは〈警告〉はDisneylandのような虚構世界のイルミネーションと化しつつも、流血というバイオレンスを潜在的にかかえている。
ちなみにディズニーランドと〈死〉には深い関わりがあり、次のような指摘があります。
大澤真幸は村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を媒介にしながら東京ディズニーランドの空間に見られる徹底した虚構性に「死」を見出す。桂英史もディズニーランドに「死」の社会的蔓延を見ている。「死」とはすなわち時間の停止である。 長谷川一『ディズニーランド化する社会』
加藤さんの歌であれば、〈音〉として「サイレン」と「水をすくう音」の騒音と静寂が対比されつつも、サイレンが停止し、水のすくう音だけが継続することによって、時間性がずれながらも、なにかが起こる〈破滅的瞬間〉の一歩手前の緊張感を描いている。
大事なのは「サイレン」が、白バイが転ぶように、水をすくう静寂が別の意味をもつように、ふだんとはちがった〈こわれた状況〉の〈予期〉をもたらすことです。
わたしたちのいまある状況は、サイレンによって、組み替えられたものになってしまう。それが、サイレンです。
広瀬さんの句にもどります。「本を読む」というふつうの上五に「遠いサイレン聞きながら」がつくことによって「本を読む」が「本を読む」だけの状況ではなくなっていることをこの句は指し示しています。
「本を読む 遠いサイレン聞きながら」という一字アケにも注意したいとおもいます。この語り手にとっては「サイレン」を聞かずに「本を読む」日常性もかつては有していた、それがこの一字空きなのではないかとおもうのです。「遠いサイレン聞きながら」は決して語り手にとってべったりしている日常性ではなかった。だから、一字あいている。でも、定型として接着するくらいには、いまや、サイレンの音が日常的になっている。それがこの句なのではないかとおもうのです。こわれなかった日常とこわれた日常がこの句には併存している。
これからこの語り手は、どうなるんでしょうか。
サイレンとは、これから起こることの、〈破滅的瞬間を予期する〉警告なのに。
ひとりずつ呼ばれる 穴は掘ってある 広瀬ちえみ
横山裕一『世界地図の間』(イーストプレス、2013年)のマンガにおける「サイレン」。サイレンは「おまえを監視してるぞ」と監視社会のシステムを象徴するものでもある。
【サイレン・ディズニーランド・穴】
『セレクション柳人14 広瀬ちえみ集』から広瀬さんの一句です。
さいきん岡野大嗣さんの『サイレンと犀』をずっと読む機会があってから、サイレンについていろいろ考えるようになって、きがついてみると、じつは短詩には「サイレン」がけっこう出てくるんですね。どうも、短詩にとって、サイレンは、だいじらしい。
たとえばこんな〈サイレン短歌〉をみてみましょう。
サイレンの赤いひかりを撒き散らし夢みるように転ぶ白バイ 穂村弘
サイレンは近づいてやむキッチンに水をすくう音のして居り 加藤治郎
サイレンっていうのはなにかといえば、ひとつは〈警告〉です。なにか〈危機的状況〉〈警戒すべき状況〉になっていることを知らせるのがサイレンです。
穂村さんの歌ではそうした〈警告〉としてのサイレンが「赤いひかりを撒き散らし」と〈血〉のように受肉化され、さらにそこからもう一段階「夢みるように転ぶ白バイ」と色が対比されながら虚構のセカイに昇華されていくのが特徴的です。ここでは〈警告〉はDisneylandのような虚構世界のイルミネーションと化しつつも、流血というバイオレンスを潜在的にかかえている。
ちなみにディズニーランドと〈死〉には深い関わりがあり、次のような指摘があります。
大澤真幸は村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を媒介にしながら東京ディズニーランドの空間に見られる徹底した虚構性に「死」を見出す。桂英史もディズニーランドに「死」の社会的蔓延を見ている。「死」とはすなわち時間の停止である。 長谷川一『ディズニーランド化する社会』
加藤さんの歌であれば、〈音〉として「サイレン」と「水をすくう音」の騒音と静寂が対比されつつも、サイレンが停止し、水のすくう音だけが継続することによって、時間性がずれながらも、なにかが起こる〈破滅的瞬間〉の一歩手前の緊張感を描いている。
大事なのは「サイレン」が、白バイが転ぶように、水をすくう静寂が別の意味をもつように、ふだんとはちがった〈こわれた状況〉の〈予期〉をもたらすことです。
わたしたちのいまある状況は、サイレンによって、組み替えられたものになってしまう。それが、サイレンです。
広瀬さんの句にもどります。「本を読む」というふつうの上五に「遠いサイレン聞きながら」がつくことによって「本を読む」が「本を読む」だけの状況ではなくなっていることをこの句は指し示しています。
「本を読む 遠いサイレン聞きながら」という一字アケにも注意したいとおもいます。この語り手にとっては「サイレン」を聞かずに「本を読む」日常性もかつては有していた、それがこの一字空きなのではないかとおもうのです。「遠いサイレン聞きながら」は決して語り手にとってべったりしている日常性ではなかった。だから、一字あいている。でも、定型として接着するくらいには、いまや、サイレンの音が日常的になっている。それがこの句なのではないかとおもうのです。こわれなかった日常とこわれた日常がこの句には併存している。
これからこの語り手は、どうなるんでしょうか。
サイレンとは、これから起こることの、〈破滅的瞬間を予期する〉警告なのに。
ひとりずつ呼ばれる 穴は掘ってある 広瀬ちえみ
横山裕一『世界地図の間』(イーストプレス、2013年)のマンガにおける「サイレン」。サイレンは「おまえを監視してるぞ」と監視社会のシステムを象徴するものでもある。
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