【感想】おかあさん白線ちゃんとわたろうとしたよ白線わたろうとした 遠野真
- 2015/08/22
- 00:13
おかあさん白線ちゃんとわたろうとしたよ白線わたろうとした 遠野真
【横断と水着】
第58回短歌研究新人賞受賞作「さなぎの議題」からの一句です。
遠野さんの連作のいちばんさいごにある歌がこのうたなんですが、きょうたまたま山田露結さんのこんな句についてかんがえていたんです。
水着に始まり水着に終る雑誌かな 山田露結
露結さんの俳句の空間のなかでは〈くりかえし〉という意味のプロセスが句になっていることが多いんですが、そもそもこの〈くりかえし〉は定型でしか起こり得ないくりかえしだとおもうんですよね。
それがなんでだろう、と。
たとえば、小説にしても詩にしてもポップスにしてもくりかえしはあるはずですよね。でもそのくりかえしはちょっと定型のくりかえしとはちがうきがする。
小説や詩やポップスは〈ひらかれている〉わけです。ひらかれたなかでくりかえされるので、それは(1+n)回といつまでもくりかえされるものかもしれない。
でも定型では、ちがう。定型は閉じられているので、(1+n)のnが任意にはならない。17音や31音のなかで限定されたくりかえしになるはずです。限りあるくりかえしになるはずです。
そうするとですね、一般的にくりかえしとは、強調のためになんどもなんども反復するのですが、そうやって無かったはずの音律をつくっていくのですが、定型という内在する音律によって《あらかじめ》すべての音が強調されている形態によってはくりかえしとは強調や強意ではないということになるとおもうんです。
むしろですね、散文におけるくりかえしとはまったく逆のかたちになるのが定型におけるくりかえしなんじゃないかとおもうんです。つまり、逆強調や逆強意が。
たとえば、遠野さんの短歌では、
おかあさん白線ちゃんとわたろうとしたよ白線わたろうとした 遠野真
「わたろうとした」が31音のなかで二度くりかえされることによって、「わたろうとした」という意味がひっくりかえされ、「わたれなかった」という逆強調になる。「わたれなかった」からこそ、逆強調として限りある定型のなかで繰り返している。
露結さんの句ならば、
水着に始まり水着に終る雑誌かな 山田露結
「水着」が定型のなかで二度くりかえされることによって「水着」が喚起するイメージの強調よりもむしろ「水着に始まり水着に終る雑誌」のシステム性そのもののせりあがってくる。「水着」の逆強調によってむしろ閉鎖的システムが浮かび上がってくるのです。
だからもし「水着」で始まる「雑誌」のエロス性みたいなものがこの句にないのだとしたら、それは「水着」の逆強調によってシステム性がせりあがってきてるからだとおもうんです(そもそも語り手は「水着」ではなく、「水着」をとおしたシステムに着目してるわけです)。
だから、定型におけるくりかえしは、強調ではなくて、逆強調なのではないかとおもうんです。そしてその逆強調は、定型というあらかじめ音律が内蔵された閉鎖システムによって起こっているのではないかと。
破られることで命を得る手紙ちゃんと破いてもらえたのかな 遠野真
【横断と水着】
第58回短歌研究新人賞受賞作「さなぎの議題」からの一句です。
遠野さんの連作のいちばんさいごにある歌がこのうたなんですが、きょうたまたま山田露結さんのこんな句についてかんがえていたんです。
水着に始まり水着に終る雑誌かな 山田露結
露結さんの俳句の空間のなかでは〈くりかえし〉という意味のプロセスが句になっていることが多いんですが、そもそもこの〈くりかえし〉は定型でしか起こり得ないくりかえしだとおもうんですよね。
それがなんでだろう、と。
たとえば、小説にしても詩にしてもポップスにしてもくりかえしはあるはずですよね。でもそのくりかえしはちょっと定型のくりかえしとはちがうきがする。
小説や詩やポップスは〈ひらかれている〉わけです。ひらかれたなかでくりかえされるので、それは(1+n)回といつまでもくりかえされるものかもしれない。
でも定型では、ちがう。定型は閉じられているので、(1+n)のnが任意にはならない。17音や31音のなかで限定されたくりかえしになるはずです。限りあるくりかえしになるはずです。
そうするとですね、一般的にくりかえしとは、強調のためになんどもなんども反復するのですが、そうやって無かったはずの音律をつくっていくのですが、定型という内在する音律によって《あらかじめ》すべての音が強調されている形態によってはくりかえしとは強調や強意ではないということになるとおもうんです。
むしろですね、散文におけるくりかえしとはまったく逆のかたちになるのが定型におけるくりかえしなんじゃないかとおもうんです。つまり、逆強調や逆強意が。
たとえば、遠野さんの短歌では、
おかあさん白線ちゃんとわたろうとしたよ白線わたろうとした 遠野真
「わたろうとした」が31音のなかで二度くりかえされることによって、「わたろうとした」という意味がひっくりかえされ、「わたれなかった」という逆強調になる。「わたれなかった」からこそ、逆強調として限りある定型のなかで繰り返している。
露結さんの句ならば、
水着に始まり水着に終る雑誌かな 山田露結
「水着」が定型のなかで二度くりかえされることによって「水着」が喚起するイメージの強調よりもむしろ「水着に始まり水着に終る雑誌」のシステム性そのもののせりあがってくる。「水着」の逆強調によってむしろ閉鎖的システムが浮かび上がってくるのです。
だからもし「水着」で始まる「雑誌」のエロス性みたいなものがこの句にないのだとしたら、それは「水着」の逆強調によってシステム性がせりあがってきてるからだとおもうんです(そもそも語り手は「水着」ではなく、「水着」をとおしたシステムに着目してるわけです)。
だから、定型におけるくりかえしは、強調ではなくて、逆強調なのではないかとおもうんです。そしてその逆強調は、定型というあらかじめ音律が内蔵された閉鎖システムによって起こっているのではないかと。
破られることで命を得る手紙ちゃんと破いてもらえたのかな 遠野真
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