【感想】ラジオより流れる呪文死になさい 石部明
- 2015/08/22
- 21:50
ラジオより流れる呪文死になさい 石部明
【生き延びるための川柳入門-不健全は、たくましい。-】
どうしてじぶんは川柳につかまっちゃったんだろう、どうしてじぶんは川柳に魅力をかんじたんだろう、どうしてじぶんは川柳にときどき勇気づけてもらえるんだろう、ってかんがえたりすることがあるんですが、ひとつはっきりといえるのは、わたしにとっては川柳が〈不健全〉だったから、じゃないかとおもうんですね。
〈不健全さ〉をポジティヴな価値観として肯定できるのが、川柳という文芸形式なんじゃないかとおもうんです。
で、それを積極的に実践していた表現者が石部明さんだったのではないかとおもうんです。
たとえば「死になさい」っていうのは〈死ね〉ってことですから非常に不健全なことばです。ひとはいつかは誰にいわれなくたって死んでいく運命なので(驚くべきことにひとはみんな死ぬのです、あなたもわたしも)、ひとから死ねなんていわれたくないわけです。
ところがこの句では「死になさい」といっている。それが「ラジオより流れる呪文」だった、と。
これがもし短歌だったらここから七七がつくので七七から構造化することで判断の糸口がつかめそうだけれども、そのすきも与えられず、575の川柳なので終わってしまう。「死になさい」という5音を残してこの句は終わる。
すごく〈不健全〉だと思うんだけれども、この〈不健全さ〉が率直に成立するのが川柳なんじゃないかとおもうんです。ことばを変えれば、〈悪〉が〈悪〉としてそのままあるのが。
この「ラジオから流れる呪文」っていうのは川柳そのもののようにも思うんです。川柳っていうのは、ラジオのような定型から発話される表現で、それはラジオのように他者の声をまとって流れてくる。ラジオのようにその発話者は実体としているはずなんだけれども、でも、ラジオのように発話者は透明化していて、〈声〉としてしか関知されない。そして川柳は575で、季語も、77もないので、呪文のような無根拠な表現形式になっている。
でもだからこそ、〈不健全さ〉や〈悪〉をそのまま無根拠に発声できるようなきがするのです。これはあくまで呪文なので。呪文をあれこれ討議したりうんぬんするのは、ちがうフィールドのことなので。
その川柳の呪文性にきがついたのが、石部明さんの川柳だったのではないかとおもうんです。
賑やかに片付けられている死体 石部明
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の川柳感想