【川柳】印鑑を…(第11回大野風柳賞・入選・大野風柳 選)
- 2014/06/15
- 13:40
印鑑を宇宙の隅でそっと捺す 柳本々々
(第11回大野風柳賞・入選・大野風柳 選)
【不可逆としての捺印】
大野風柳さんの句に次の句があります。
非常用ベルを押したくなってくる
この句に緊張感があるのは、「非常用ベル」を一回押すと、それはシーンが不可逆として次のシーンに変わってしまうこと。かんたんにはもうもとには戻せないということです。「非常用ベル」は「非常用」なので、「押した」いという欲動で押してはだめなわけです。しかし、ここで語り手は「押したくなって」しまっています。これは押す/押さないという選択肢の葛藤よりも、語り手が、ある不可逆のステージへ向かいたいという欲動としてみられるようにおもうんです。
わたしの句の「捺印」もそうなんですが、そんなふうにかんがえると、「押す」という行為にはどうも〈不可逆〉としての意味要素がまとわりついているんじゃないかと思うんですね。というよりも、わたしたちはふだんの生活のなかで「非常用ベル」のボタンや契約としての「捺印」を繰り返すうちに、〈押す〉ということをめぐる不可逆性と、その不可逆における侵犯についての欲動にかんがえざるをえない、もっといえばかんがえざるをえないくらいシステムに巻かれてふだんの生活をおくっている、ということなんじゃないでしょうか。
でも、「押す」という行為が蠱惑的なのは、たった「押す」という非常にシンプルな一回性の行為によってシステムが移行するなり破綻するなりして不可逆が訪れるということですよね。
たとえば。キューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という映画も概括すれば、ボタンを押す/押さないを、それだけを地球の存亡レベルでかんがえる映画だといえるように思います。バスの降りますボタンを押すようなかんじで、たったいっかいボタンを押すだけで、この地球はいっしゅんにしてなくなる。そういう不可逆の世界に、たぶん、われわれはいきています。
ちなみに大野風柳さんからは『川柳マガジン』2014年5月号の「川柳道・題『沈む』」においても佳作に選んでいただきました。その句をもってこの文章をおわりにしたいとおもいます。大野風柳さん、ありがとうございました。
沈んでも遠心力でみなぎって 柳本々々
(第11回大野風柳賞・入選・大野風柳 選)
【不可逆としての捺印】
大野風柳さんの句に次の句があります。
非常用ベルを押したくなってくる
この句に緊張感があるのは、「非常用ベル」を一回押すと、それはシーンが不可逆として次のシーンに変わってしまうこと。かんたんにはもうもとには戻せないということです。「非常用ベル」は「非常用」なので、「押した」いという欲動で押してはだめなわけです。しかし、ここで語り手は「押したくなって」しまっています。これは押す/押さないという選択肢の葛藤よりも、語り手が、ある不可逆のステージへ向かいたいという欲動としてみられるようにおもうんです。
わたしの句の「捺印」もそうなんですが、そんなふうにかんがえると、「押す」という行為にはどうも〈不可逆〉としての意味要素がまとわりついているんじゃないかと思うんですね。というよりも、わたしたちはふだんの生活のなかで「非常用ベル」のボタンや契約としての「捺印」を繰り返すうちに、〈押す〉ということをめぐる不可逆性と、その不可逆における侵犯についての欲動にかんがえざるをえない、もっといえばかんがえざるをえないくらいシステムに巻かれてふだんの生活をおくっている、ということなんじゃないでしょうか。
でも、「押す」という行為が蠱惑的なのは、たった「押す」という非常にシンプルな一回性の行為によってシステムが移行するなり破綻するなりして不可逆が訪れるということですよね。
たとえば。キューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という映画も概括すれば、ボタンを押す/押さないを、それだけを地球の存亡レベルでかんがえる映画だといえるように思います。バスの降りますボタンを押すようなかんじで、たったいっかいボタンを押すだけで、この地球はいっしゅんにしてなくなる。そういう不可逆の世界に、たぶん、われわれはいきています。
ちなみに大野風柳さんからは『川柳マガジン』2014年5月号の「川柳道・題『沈む』」においても佳作に選んでいただきました。その句をもってこの文章をおわりにしたいとおもいます。大野風柳さん、ありがとうございました。
沈んでも遠心力でみなぎって 柳本々々
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