【短歌】タケコプター…(毎日新聞・毎日歌壇8月24日・米川千嘉子 選・特選)
- 2015/08/24
- 08:00
タケコプター無いから君に会うまでを噛み締めているホモ・エレクトゥス 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇8月24日・米川千嘉子 選・特選)
【米川千嘉子さんの評】逢いたい人の元へすぐ飛んで行けないからこそ、思いを育めるのかも。直立歩行するヒトになった時代から。
【体育座りする最終回】
ドラえもん最終話といわれている「さよならドラえもん」の最終コマでなぜのび太がすわっているのか、体育すわりをしているのかをときどき、かんがえる。
体育すわりは、それまでタケコプターをつかっていた、ドラえもんがそばにいた、のび太にとって〈死〉を意味するのか。
ドラえもんは未来にかえってしまい、もういない。
のび太がいうように、これからはじぶんのちからで生きなくてはならない。
でも、こういうふうにもおもうのだ。
タケコプターといういままで〈空〉を主題にしたのび太の物語は、これから体育すわりという〈地〉の主題にかわるのだと。つまり、他人の道具ではなく、じぶんの足であるくための。
体育すわりから、地から、のびたは、また生をやりなおすのだと。
体育すわりをしたにんげんは、〈立ち上がら〉なければならない。体育すわりとは、立ち上がるまえの〈待機〉のじょうたいなのだ。
これからのびたは、たちあがり、直立歩行のホモ・エレクトゥスにならなければならない。タケコプターを捨てて、〈いま・ここ〉にしかゆきつかないドアをくぐって。みらいでまってるひとにじぶんのあしであいにいかなければならない。
タケコプター無いから君に会うまでを噛み締めているホモ・エレクトゥス 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇8月24日・米川千嘉子 選・特選)
【米川千嘉子さんの評】逢いたい人の元へすぐ飛んで行けないからこそ、思いを育めるのかも。直立歩行するヒトになった時代から。
【体育座りする最終回】
ドラえもん最終話といわれている「さよならドラえもん」の最終コマでなぜのび太がすわっているのか、体育すわりをしているのかをときどき、かんがえる。
体育すわりは、それまでタケコプターをつかっていた、ドラえもんがそばにいた、のび太にとって〈死〉を意味するのか。
ドラえもんは未来にかえってしまい、もういない。
のび太がいうように、これからはじぶんのちからで生きなくてはならない。
でも、こういうふうにもおもうのだ。
タケコプターといういままで〈空〉を主題にしたのび太の物語は、これから体育すわりという〈地〉の主題にかわるのだと。つまり、他人の道具ではなく、じぶんの足であるくための。
体育すわりから、地から、のびたは、また生をやりなおすのだと。
体育すわりをしたにんげんは、〈立ち上がら〉なければならない。体育すわりとは、立ち上がるまえの〈待機〉のじょうたいなのだ。
これからのびたは、たちあがり、直立歩行のホモ・エレクトゥスにならなければならない。タケコプターを捨てて、〈いま・ここ〉にしかゆきつかないドアをくぐって。みらいでまってるひとにじぶんのあしであいにいかなければならない。
タケコプター無いから君に会うまでを噛み締めているホモ・エレクトゥス 柳本々々
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