【こわい川柳 第七十九話】しいたげられるもなか-石田柊馬-
- 2015/08/27
- 12:00
縄跳びをするぞともなかは嚇かされ 石田柊馬
【サド/マゾともなか】
『セレクション柳人 石田柊馬集』からの一句です。
柊馬さんの句集には〈食べ物〉がたくさん出てくるのも特徴的なんですが、ほぼしいたげられているのも特徴的です。
たべものは、柊馬さんの川柳空間においては、たべるものではなく、しいたげるもの、被虐的なものなのです。
で、そのなかでももっとも虐待をうけているのが〈もなか〉です。
先頭になるのを恐れているもなか 石田柊馬
積まれても耐えろと叱られるもなか 〃
岬までの道をもなかはがんばって 〃
グラフなどもなかに突きつけてみても 〃
号令をあびてひび割れるもなか 〃
もなかもなかもなか苦しい詩語がある 〃
Wクリックしたなもなかを潰したな 〃
で、ですね。こんなふうに暴力を受け続けるもなかなんですが、これはある意味で、もなかの暴力誘発性=可傷性(ヴァルネラビリティー)に注目した〈語り〉ともいえます。
だれもがもなかのもろさややわらかさ、傷つきやすさを知っているわけです。傷つきやすさを知っているということは、〈傷つけないように〉わたしたちはもなかを食べている。それを裏返したかたちがこの柊馬さんの一連の〈もなかサディスティック川柳〉(あるいは〈もなかマゾヒスティック川柳〉)なんじゃないかとおもうんです。
あえてサディスティック/マゾヒスティックな枠組みのなかに「もなか」を置くことで〈可傷性〉を主題にすることができる。
そしてここにはもうひとつの主題があります。それは〈暴力〉とは、そのものの〈本質〉を強制的にズラすことなのではないかということです。
もなかは、暴力をうけるためのものではなく、食べるものです。ところがここには食べられるもなかはありません。食べられるもなかは、暴力を誘発するもなかに置き換えられている。実は〈暴力〉とはそうした枠組みの強制的置換にあるのではないかとおもうのです(なぐる/ける、という直接的行為ではなくて)。
〈もなか〉という可傷性をもつメディアを通して暴力の枠組みを浮き彫りにすること。
もなかは安心できないのか?
落語など聴いて安心するもなか 石田柊馬
もなかは語れないのか?
諄諄とゴジラを諭しているもなか 石田柊馬
もなかはそれでも待ってくれるのか?
山の向うにやさしいもなかが待っている 石田柊馬
【サド/マゾともなか】
『セレクション柳人 石田柊馬集』からの一句です。
柊馬さんの句集には〈食べ物〉がたくさん出てくるのも特徴的なんですが、ほぼしいたげられているのも特徴的です。
たべものは、柊馬さんの川柳空間においては、たべるものではなく、しいたげるもの、被虐的なものなのです。
で、そのなかでももっとも虐待をうけているのが〈もなか〉です。
先頭になるのを恐れているもなか 石田柊馬
積まれても耐えろと叱られるもなか 〃
岬までの道をもなかはがんばって 〃
グラフなどもなかに突きつけてみても 〃
号令をあびてひび割れるもなか 〃
もなかもなかもなか苦しい詩語がある 〃
Wクリックしたなもなかを潰したな 〃
で、ですね。こんなふうに暴力を受け続けるもなかなんですが、これはある意味で、もなかの暴力誘発性=可傷性(ヴァルネラビリティー)に注目した〈語り〉ともいえます。
だれもがもなかのもろさややわらかさ、傷つきやすさを知っているわけです。傷つきやすさを知っているということは、〈傷つけないように〉わたしたちはもなかを食べている。それを裏返したかたちがこの柊馬さんの一連の〈もなかサディスティック川柳〉(あるいは〈もなかマゾヒスティック川柳〉)なんじゃないかとおもうんです。
あえてサディスティック/マゾヒスティックな枠組みのなかに「もなか」を置くことで〈可傷性〉を主題にすることができる。
そしてここにはもうひとつの主題があります。それは〈暴力〉とは、そのものの〈本質〉を強制的にズラすことなのではないかということです。
もなかは、暴力をうけるためのものではなく、食べるものです。ところがここには食べられるもなかはありません。食べられるもなかは、暴力を誘発するもなかに置き換えられている。実は〈暴力〉とはそうした枠組みの強制的置換にあるのではないかとおもうのです(なぐる/ける、という直接的行為ではなくて)。
〈もなか〉という可傷性をもつメディアを通して暴力の枠組みを浮き彫りにすること。
もなかは安心できないのか?
落語など聴いて安心するもなか 石田柊馬
もなかは語れないのか?
諄諄とゴジラを諭しているもなか 石田柊馬
もなかはそれでも待ってくれるのか?
山の向うにやさしいもなかが待っている 石田柊馬
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