【こわい川柳 第八十話】しになさい-中村冨二-
- 2015/09/01
- 18:10
君は 黒い冬吐いて、秋に死ね 中村冨二
【死ね、死になさい、死んでいるといえるタフネス】
『中村冨二句集(森林叢書Ⅰ)』(森林書房、1961年)からの一句です。
ラジオより流れる呪文死になさい 石部明
いつか死ぬあす死ぬきのう死んでいる 佐藤みさ子
あのですね、現代川柳を読んでいるとよく〈死ね〉っていわれるんですよ。たとえばほかに以前紹介した石部明さんの句だったら〈死になさい〉とかですね、ふつうに言われる。これも以前紹介した佐藤みさ子さんの句だったら〈おまえは昨日死んでいる〉みたいなこともいわれる。昨日死んでいるってことはまあつまりもう死んじゃってるわけです。『北斗の拳』の「おまえはもう死んでいる」よりも厳しいタイムアウトです。「きのう死んでいる」なので。
で、ここにもひとつの川柳の特色があるようにおもうんです。なんで川柳は「死ね」っていっても〈不健全〉にならないのか。
それは川柳におけるボディが〈死なない〉からなんじゃないかとおもうんですよ。
なんというかですね、わたしたちのふだんの傷つくからだとは、ちがうからだをどうも川柳はもっているみたいなんですよ。傷つけても傷つけても死なないボディというか。
だから川柳っていうのはその意味で、都市的であり未来派的だともおもうんです。つまり、ロボ的身体だとおもうんですね。
からだをばらばらにしても痛くない。からだをパーツ分解して、モジュールみたいに世界のあちこちに接続してもとくになんともない。むしろそうしようとしている感じがある。
傷口の奥で樹海が揺れている むさし
たとえばこれも以前紹介したむさしさんの句の体は自然界のあちこちとつながっていくんですが、ある意味、エコ・サイボーグ身体ともいえるわけです。自然を大事にしよう、という言葉には自然を対象化している〈うさんくささ〉も言説的にはあるとおもうのですが、むさしさんの句の場合、たとえば自分のひじから原生林とか生えてくるので、対象化できないわけです。いったいなんだから。
そういう、なぜか、川柳のなかでは「みんなしなない」ふしぎがあるんですよ。
だから、こわくてトイレに行けないことが、ある。
みんな死なないで便所へばかり行き 中村冨二
【死ね、死になさい、死んでいるといえるタフネス】
『中村冨二句集(森林叢書Ⅰ)』(森林書房、1961年)からの一句です。
ラジオより流れる呪文死になさい 石部明
いつか死ぬあす死ぬきのう死んでいる 佐藤みさ子
あのですね、現代川柳を読んでいるとよく〈死ね〉っていわれるんですよ。たとえばほかに以前紹介した石部明さんの句だったら〈死になさい〉とかですね、ふつうに言われる。これも以前紹介した佐藤みさ子さんの句だったら〈おまえは昨日死んでいる〉みたいなこともいわれる。昨日死んでいるってことはまあつまりもう死んじゃってるわけです。『北斗の拳』の「おまえはもう死んでいる」よりも厳しいタイムアウトです。「きのう死んでいる」なので。
で、ここにもひとつの川柳の特色があるようにおもうんです。なんで川柳は「死ね」っていっても〈不健全〉にならないのか。
それは川柳におけるボディが〈死なない〉からなんじゃないかとおもうんですよ。
なんというかですね、わたしたちのふだんの傷つくからだとは、ちがうからだをどうも川柳はもっているみたいなんですよ。傷つけても傷つけても死なないボディというか。
だから川柳っていうのはその意味で、都市的であり未来派的だともおもうんです。つまり、ロボ的身体だとおもうんですね。
からだをばらばらにしても痛くない。からだをパーツ分解して、モジュールみたいに世界のあちこちに接続してもとくになんともない。むしろそうしようとしている感じがある。
傷口の奥で樹海が揺れている むさし
たとえばこれも以前紹介したむさしさんの句の体は自然界のあちこちとつながっていくんですが、ある意味、エコ・サイボーグ身体ともいえるわけです。自然を大事にしよう、という言葉には自然を対象化している〈うさんくささ〉も言説的にはあるとおもうのですが、むさしさんの句の場合、たとえば自分のひじから原生林とか生えてくるので、対象化できないわけです。いったいなんだから。
そういう、なぜか、川柳のなかでは「みんなしなない」ふしぎがあるんですよ。
だから、こわくてトイレに行けないことが、ある。
みんな死なないで便所へばかり行き 中村冨二
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