【お知らせ】ウェブマガジン『アパートメント』のはらだ有彩さん毎月連載「日本のヤバい女の子」の今月の「贈り物とヤバい女の子」のレビュー
- 2015/09/01
- 22:35
ラカンはかつて「愛とは持っていないものを、それを望んでいない者に与えること」だと言った。そうか、わたしはあのときあなたの隣の席でプレゼントゲリラになればよかったんだ。贈り物の急襲を。
ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第四回目の今月のはりーさんの文章は「贈り物とヤバい女の子 」という〈『竹取物語』(かぐや姫)〉の贈り物と女の子をめぐるエッセイです。
わたしも好きなひとへのプレゼントについてよくかんがえるんですが、いまいちうまくいったことがありません。
好きなひとへのプレゼントに「きょうわたしはさんかいきみのいえのまわりをまわった」というタイトルの詩を書いたことがあるんですが、それは贈らないほうがいいとゆうじんにいわれて、じゃあ「きょうわたしはさんかいわたしのいえのまわりをまわった」っていうふうにタイトルを変えるよ、といったら、それもだめだ、と。
ともかくいえのまわりをまわっちゃだめだ、と。
なんでだろう、といまも考えています。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。イエス・キリストのありえない〈プレゼント〉をめぐることばから今回ははじめてみました。キリストとかぐや姫なら、うまくいったかもしれない。
※ ※
一般には、最大の贈与は、「持っているすべて」を与えることだ。しかし、イエスは、持っているものを超えて与えている。イエスは、言わば「持っていないもの」までも与えているのだ。この意味で、イエスの行為には、贈与の否定が、贈与そのものによる贈与の否定が含まれている、と言うことができる。
大澤真幸『〈世界史〉の哲学 イスラーム篇』
*
今回のはりーさんの文章は〈かぐや姫〉と〈贈り物〉をめぐるお話でした。
〈贈り物=プレゼント〉ってなんなんでしょう。
はりーさんの今回の文章を読んでわたしが、あっそうかそうなんだな、と思ったのは、〈贈り物〉というのはわたしとあなたの〈恋愛〉のルールを組み換える醍醐味があるということです。
はりーさんは『かぐや姫(竹取物語)』の話を引き合いに出しながら、なぜ求婚する男性たちにかぐや姫を無理難題をつきつけたのか、と問いかけました。そのことに、はりーさんは鋭くこんなふうに答えています。
それはかぐや姫が「女性の「幸福」のガイドラインを組み替えた」かったからだ、と。
恋愛をするということは、日々ルールやガイドラインが構築されていくことです。恋愛は、社会の枠組みが入ってこざるをえないようなことなのです(恋愛をしているときの言葉やしぐさが流通しているドラマや映画やマンガの言葉に似てくることはよくあることです)。それはある意味しょうがないともいえる。いや、しょうがないのか。
はりーさんの文章を読んで私はこんなふうにおもったんです。しょうがなくないぞ、と。恋愛のルールを組み換える秘訣は〈贈り物〉にあるじゃないか、と。ぷれぜんと、に。
精神分析学者のラカンというひとがこんなことをいっているんですよ。
「愛とは持っていないものを、それを望んでいない者に与えること。」
ずっとかんがえていたんですよ。どういうことなんだろうこれは、と。隣の席の女の子にもきいてみたことがあるんですよ。どういうことなんでしょうこれは、と。さあ、っていうんですよ。わからないけれど、って。でもわかるようなきがする、とも。どうゆうことなのか。
じぶんが持っていないものを、あいてが望んでもいないのに贈るってどういうことなんだろう。
でもはりーさんの文章を読んだ今ならわたしはそのときの隣の席の女の子に説明できるようにおもうんですよ。
それはわたしがふだん持っていない価値体系のなかから、それでもあなたに贈り物をしたいというきもちで贈与をすること。あなたが望んでいない、予期もしていなかったような贈与をされること。そうしてその思いがけない、どこにもゆきつかない贈り物によってふたりのルールが変わっていくことなんだって。
はりーさんが文章のさいごにこんなふうに書かれていたんですよ。
「少なくとも今日じゃなかったことは確かだけど、たった今祝いたいって思ったので」
この〈たった今祝いたい〉というルールを破砕するような〈プレゼントの急襲〉にわたしはプレゼントすることの思いがけない素晴らしさがあるようにおもうんですよ。プレゼントすべきことさえも乗りこえてあなたにプレゼントしてしまうこと。ふたりの〈おどろき〉と〈おののき〉とともに贈与がおこなわれること。わたしのしらなかったわたしが、あなたのしらなかったあなたに贈り物を届けること。
そうか、わたしはあのときあなたの隣の席でプレゼントゲリラになればよかったんだ。そんなふうに隣の席だった女の子に今から電話して伝えたいとおもうのです。
つまり、そうゆうこと、と。
*
僕は彼女のことがあんまり好きすぎて、彼女に引かれないように、無関心なふりをした。この作戦がはたして正しいのか、自信がなかった。僕といるときの彼女はいつも退屈そうで、もっとマシなところに行きたがっているみたいに、しょっちゅう腕時計に目をやっていたからだ。それでも僕らは、いかにも面倒くさそうに、また次に会う約束をした。ますます彼女に夢中になった僕が、結婚でもしてみる、とさりげなく持ちかけると、彼女は肩をすくめ、あくびまじりに「べつにいいけど」と言った。天にも昇る心地だった。神父が僕らに、互いを永遠に愛し、慈しむ心構えがあるか、と訊ねた。なくはないんじゃない、と彼女が答え、まあたぶん、と僕は答えた。
ダン・ローズ『変愛小説集Ⅱ』
ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第四回目の今月のはりーさんの文章は「贈り物とヤバい女の子 」という〈『竹取物語』(かぐや姫)〉の贈り物と女の子をめぐるエッセイです。
わたしも好きなひとへのプレゼントについてよくかんがえるんですが、いまいちうまくいったことがありません。
好きなひとへのプレゼントに「きょうわたしはさんかいきみのいえのまわりをまわった」というタイトルの詩を書いたことがあるんですが、それは贈らないほうがいいとゆうじんにいわれて、じゃあ「きょうわたしはさんかいわたしのいえのまわりをまわった」っていうふうにタイトルを変えるよ、といったら、それもだめだ、と。
ともかくいえのまわりをまわっちゃだめだ、と。
なんでだろう、といまも考えています。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。イエス・キリストのありえない〈プレゼント〉をめぐることばから今回ははじめてみました。キリストとかぐや姫なら、うまくいったかもしれない。
※ ※
一般には、最大の贈与は、「持っているすべて」を与えることだ。しかし、イエスは、持っているものを超えて与えている。イエスは、言わば「持っていないもの」までも与えているのだ。この意味で、イエスの行為には、贈与の否定が、贈与そのものによる贈与の否定が含まれている、と言うことができる。
大澤真幸『〈世界史〉の哲学 イスラーム篇』
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今回のはりーさんの文章は〈かぐや姫〉と〈贈り物〉をめぐるお話でした。
〈贈り物=プレゼント〉ってなんなんでしょう。
はりーさんの今回の文章を読んでわたしが、あっそうかそうなんだな、と思ったのは、〈贈り物〉というのはわたしとあなたの〈恋愛〉のルールを組み換える醍醐味があるということです。
はりーさんは『かぐや姫(竹取物語)』の話を引き合いに出しながら、なぜ求婚する男性たちにかぐや姫を無理難題をつきつけたのか、と問いかけました。そのことに、はりーさんは鋭くこんなふうに答えています。
それはかぐや姫が「女性の「幸福」のガイドラインを組み替えた」かったからだ、と。
恋愛をするということは、日々ルールやガイドラインが構築されていくことです。恋愛は、社会の枠組みが入ってこざるをえないようなことなのです(恋愛をしているときの言葉やしぐさが流通しているドラマや映画やマンガの言葉に似てくることはよくあることです)。それはある意味しょうがないともいえる。いや、しょうがないのか。
はりーさんの文章を読んで私はこんなふうにおもったんです。しょうがなくないぞ、と。恋愛のルールを組み換える秘訣は〈贈り物〉にあるじゃないか、と。ぷれぜんと、に。
精神分析学者のラカンというひとがこんなことをいっているんですよ。
「愛とは持っていないものを、それを望んでいない者に与えること。」
ずっとかんがえていたんですよ。どういうことなんだろうこれは、と。隣の席の女の子にもきいてみたことがあるんですよ。どういうことなんでしょうこれは、と。さあ、っていうんですよ。わからないけれど、って。でもわかるようなきがする、とも。どうゆうことなのか。
じぶんが持っていないものを、あいてが望んでもいないのに贈るってどういうことなんだろう。
でもはりーさんの文章を読んだ今ならわたしはそのときの隣の席の女の子に説明できるようにおもうんですよ。
それはわたしがふだん持っていない価値体系のなかから、それでもあなたに贈り物をしたいというきもちで贈与をすること。あなたが望んでいない、予期もしていなかったような贈与をされること。そうしてその思いがけない、どこにもゆきつかない贈り物によってふたりのルールが変わっていくことなんだって。
はりーさんが文章のさいごにこんなふうに書かれていたんですよ。
「少なくとも今日じゃなかったことは確かだけど、たった今祝いたいって思ったので」
この〈たった今祝いたい〉というルールを破砕するような〈プレゼントの急襲〉にわたしはプレゼントすることの思いがけない素晴らしさがあるようにおもうんですよ。プレゼントすべきことさえも乗りこえてあなたにプレゼントしてしまうこと。ふたりの〈おどろき〉と〈おののき〉とともに贈与がおこなわれること。わたしのしらなかったわたしが、あなたのしらなかったあなたに贈り物を届けること。
そうか、わたしはあのときあなたの隣の席でプレゼントゲリラになればよかったんだ。そんなふうに隣の席だった女の子に今から電話して伝えたいとおもうのです。
つまり、そうゆうこと、と。
*
僕は彼女のことがあんまり好きすぎて、彼女に引かれないように、無関心なふりをした。この作戦がはたして正しいのか、自信がなかった。僕といるときの彼女はいつも退屈そうで、もっとマシなところに行きたがっているみたいに、しょっちゅう腕時計に目をやっていたからだ。それでも僕らは、いかにも面倒くさそうに、また次に会う約束をした。ますます彼女に夢中になった僕が、結婚でもしてみる、とさりげなく持ちかけると、彼女は肩をすくめ、あくびまじりに「べつにいいけど」と言った。天にも昇る心地だった。神父が僕らに、互いを永遠に愛し、慈しむ心構えがあるか、と訊ねた。なくはないんじゃない、と彼女が答え、まあたぶん、と僕は答えた。
ダン・ローズ『変愛小説集Ⅱ』
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