【感想】川柳/短歌/俳句における星=★をめぐって-わたしの短詩星座早見表-
- 2015/09/03
- 12:00
彗星は紅茶をこぼす癖がある 小池正博
レインコートをボートに敷けば降りそそぐ星座同士の戦(いくさ)のひかり 穂村弘
捨ててないなら実家のどこかにあるはずの星座早見が欲しいとおもう 斉藤斎藤
金星をうつしてきみにだす手紙 ながたまみ
忘却は星いつぱいの料理店 小津夜景
過去が現在に光を投げかけるのでもなければ、現在が過去に光を投げかけるのでもない。イメージとはそうではなく、かつてあったものが電光石火の内にいまと一つになり、ただ一つの星座となる場である。言い換えれば、イメージは停止状態にある弁証法である。弁証法的イメージだけが真のイメージである。そして、このイメージに出会う場が言語である。 ベンヤミン『パサージュ論3』
【★★★★★★★】
『水牛の余波』から小池さんの一句なんですが、小池さんの川柳には〈★〉がたくさん出てくるんですよ。
ちょっと抜き出してみましょう、星。
彗星は紅茶をこぼす癖がある 小池正博
木星を応天門に投げつける 〃
水星を見た左眼を保存する 〃
鴉声だね美声だね火星だね 〃
部屋さがし土星をいつも右に見て 〃
こうやってみると少しわかるのが、「紅茶をこぼす」「投げつける」「左眼」「美声」「部屋さがし」など、〈星〉と日常的なわたしをめぐる〈身体〉のありようが接近していることです。
それは別の言い方をするならば、どこまでいってもなにをやっていてもまといついて離れない〈星〉のありかたです。ストーキングしてくる星、といってもいいかもしれない。あるいは定型という個室に押し入ってくる星。
そこにはロマンチシズムをたたえるような星がなく、おっちょこちょいで(紅茶をこぼす!)、しいたげられて(投げつけられる!)、粘着質の(いつも右にあるよあの土星)星のありかたが描かれています。
思想家のスピヴァクはかつて「惑星思考」を提示しました。
惑星思考は、もともとのスピヴァクの定義を基本にし、デジタル世界(「地球はわれわれのコンピュータ上に存在している」)が安易に想起する制御可能な電脳空間的世界という捉え方を批判し、一方的な説明を拒み続ける無数の「他なるもの」(「決定不能な惑星的他者性」)のダイナミックな群生として世界を考える。ファーストフードのチェーンのごとく規格化されたグローバリズムが大陸的中央集権構造と系統を持つのに対して、惑星思考は、世界を群島と見なして特定の支配の中心を不在にする、あるいは異なる無数の中心の共存ととらえてむしろ群島間の交流にこそ注目していく方法論である。具体的には「時間錯誤(アナクロニズム)」と「空間錯誤(アナロキズム)」という用語で呼ばれる、直線的時間順序や地政学的境界の統一的支配を離れて一見偶発的ともいえる近接性や類似性の発見をうながし、従来までは見えなかった動きを見えるようにしていく視座と手段である。また、「深い時間」と呼ばれる記憶の深層で地下茎のごとく生成される共同性を探り当て、それに言葉を与えて形象化していく作業も、「他なるもの」同士の交流を可能にする極めて重要な作業であることが示される。
長岡真吾『週刊読書人2014*9*19』
こうやって「惑星思考」についてあらためて考えなおしてみると、「惑星思考」ってちょっと短詩のありかたとも似ているとおもうんですよね。
定型っていうのは〈中心〉や〈特権〉をつくることができません。31音や17音でしかないからです。その短さのなかでなにか主題を形成することができない。で、ある意味において、「時間錯誤(アナクロニズム)」で「空間錯誤(アナロキズム)です。
たとえば、
調律は飛鳥時代にすみました 小池正博
(時間錯誤=アナクロニズム)
鯛焼きのあんこつぶれてアジールへ 小池正博
(空間錯誤=アナロキズム)
実は短詩と星っていうのは、こんなふうに〈惑星思考〉として近いんじゃないかともおもったりするんですよ。
短詩をする、っていう行為は、異星人になろうとする行為なんじゃないかって。
惑星別重力一覧眺めつつ「このごろあなたのゆめばかりみる」 穂村弘
私は「災厄」という語が好きだ。最初の朝、最初の不眠の夜が私たちに差し与えた底なしの不幸をそう呼ぶことが好きだ。ずっと私たちを結びつける、災厄が私たちを取り集める。私は、災厄という語のなかの、すべての語、すべての文学が好きだ、その動き回る星座、そこで投げられるあらゆる運命が好きだ、そして、災厄が少しばかり私たちを崇高にすることさえ好きだ。
デリダ『絵葉書Ⅰ』
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