【お知らせ】「【走る中村冨二】現代川柳空間におけるバラバラな身体―ばらばらとひじやかかとやくるぶしが降ってくるパノラマ島を駈け抜けろ!」『BLOG俳句新空間 第25号』
- 2015/09/04
- 00:21
『 BLOG俳句新空間 第25号』にて「【走る中村冨二】現代川柳空間におけるバラバラな身体―ばらばらとひじやかかとやくるぶしが降ってくるパノラマ島を駈け抜けろ!―」という文章を載せていただきました。
『BLOG俳句新空間』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました! お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
川柳っていうのは少し乱暴にいうと、《なんでもあり》の世界だとおもうんです。
でも、その《なんでもあり》を実は川柳の表現形式やもしくは他のジャンルが支えているっていう《きちんとしたなんでもあり》なんじゃないかとおもうんですね。
小池正博さんが川柳における《未了》について書かれていたんですが、短詩型文学はあちこちそれぞれに関連しあっている、だからジャンル内で完成するのではなく、他ジャンルを関連づけながらじぶんがいまジャンルについて考えるのも《積極的未了》としての方法論だとおもうんですよ。
だからクロスしながらアイデンティティを形作っている場合もあるとおもうし、そのクロスしている様態をかんがえながら、《秩序の無秩序》のような場所をかんがえることもできるんじゃないかとおもうんですね、《無秩序を秩序化》した人見広介のパノラマ島みたいに。
高校の頃、よく江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」を読んでいたんですが、その頃休学していたので、あ、これやばいなあ、人生つんだなあ、と乱歩的空間のなかでおもっていました。乱歩にでてくるひとたちはみなほとんど《ぶらぶら》しているわけですが、ぶらぶらしているけれど、どこにもゆけないわけです(だからこそ、内面をパラダイス化してパノラマ島といった肉欲ディズニーランドをつくったりする)。
ただ、詰んだなあ、とおもっていた人生ですが、人生はふしぎなもので、あるときとつぜん、ふしぎなひかりにおおわれて、ふしぎな抜け道が滝の裏にふっとみえたりもするんですよ。そうやって抜けて、また次の生のステージにむかうことができる。詰んだなあと何回おもっても、でもわたしだけじゃなく、人生から働きかけられて、人生がどうにかこうにかしようとこちらにやってくるしゅんかんってあるんですよ。たぶん。
もちろん、比喩ですよ。比喩だけれども、でも、レイモンド・カーヴァーも、表現の秘訣はたったひとつ、生き延びることだ、っていってました。わたしも、そう、おもう。
それでどうにかこうにか幻影かもしれないけれど、いまここに生き延びている。生き延びていろんなひとに出会うことができた。よかった。
そして、それもまたひとつの人生のパノラマなのではないかとおもうんですよ。パノラマ島にいかなくても、いきのびてゆくことそのものはパノラマ島になって、ゆく。
ボクを喋る しづかな言葉なんかない 中村冨二
ちなみにわたしが持っている江戸川乱歩の直筆葉書。
『BLOG俳句新空間』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました! お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
川柳っていうのは少し乱暴にいうと、《なんでもあり》の世界だとおもうんです。
でも、その《なんでもあり》を実は川柳の表現形式やもしくは他のジャンルが支えているっていう《きちんとしたなんでもあり》なんじゃないかとおもうんですね。
小池正博さんが川柳における《未了》について書かれていたんですが、短詩型文学はあちこちそれぞれに関連しあっている、だからジャンル内で完成するのではなく、他ジャンルを関連づけながらじぶんがいまジャンルについて考えるのも《積極的未了》としての方法論だとおもうんですよ。
だからクロスしながらアイデンティティを形作っている場合もあるとおもうし、そのクロスしている様態をかんがえながら、《秩序の無秩序》のような場所をかんがえることもできるんじゃないかとおもうんですね、《無秩序を秩序化》した人見広介のパノラマ島みたいに。
高校の頃、よく江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」を読んでいたんですが、その頃休学していたので、あ、これやばいなあ、人生つんだなあ、と乱歩的空間のなかでおもっていました。乱歩にでてくるひとたちはみなほとんど《ぶらぶら》しているわけですが、ぶらぶらしているけれど、どこにもゆけないわけです(だからこそ、内面をパラダイス化してパノラマ島といった肉欲ディズニーランドをつくったりする)。
ただ、詰んだなあ、とおもっていた人生ですが、人生はふしぎなもので、あるときとつぜん、ふしぎなひかりにおおわれて、ふしぎな抜け道が滝の裏にふっとみえたりもするんですよ。そうやって抜けて、また次の生のステージにむかうことができる。詰んだなあと何回おもっても、でもわたしだけじゃなく、人生から働きかけられて、人生がどうにかこうにかしようとこちらにやってくるしゅんかんってあるんですよ。たぶん。
もちろん、比喩ですよ。比喩だけれども、でも、レイモンド・カーヴァーも、表現の秘訣はたったひとつ、生き延びることだ、っていってました。わたしも、そう、おもう。
それでどうにかこうにか幻影かもしれないけれど、いまここに生き延びている。生き延びていろんなひとに出会うことができた。よかった。
そして、それもまたひとつの人生のパノラマなのではないかとおもうんですよ。パノラマ島にいかなくても、いきのびてゆくことそのものはパノラマ島になって、ゆく。
ボクを喋る しづかな言葉なんかない 中村冨二
ちなみにわたしが持っている江戸川乱歩の直筆葉書。
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