【感想】チャーシュー麺は春に似ている 樋口由紀子
- 2015/09/06
- 22:27
チャーシュー麺は春に似ている 樋口由紀子
しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間における矛盾を断ち切れないならばだ。
吉本隆明『マチウ書試論』
【「似ているもの」を十四字以内で述べなさい】
月波与生さんがおっしゃられていてわたしもそう思ったんですが、この樋口さんの「似ている!」って、柊馬さんの、
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬
の句の「似ている!」に通底する《確信力》のおもしろさがあるとおもうんですよ。
どちらも、ふだんは絶対にそうはおもわない、どちらかというと《相対的妄想》を川柳という表現形式によって《絶対的確信》に昇華してるのがおもしろいとおもうんですよね。なにかわたしここには吉本隆明のいっていた《関係の絶対性》があるようにもおもうんですよ。ひとはわからぬうちに関係が絶対化しているときが、ある。その《関係の絶対性》から逃れられないときが、ある。その《関係の絶対性》の地獄のようなところから、このふたつの句はたちのぼってきたんじゃないかと。
さいきん小池正博さんの『蕩尽の文芸-川柳と連句』をずっと読み返していて、その本の最終章で小池さんが十四字詩について考察しておられるんですね。
で、樋口さんのこの句も十四字詩なんですが、小池さんは川柳の17音とちがって七七の十四字詩には《問答形式》の構造が抜ける。でもそこに詩的可能性があるんじゃないかと書いておられたようにおもうんです。
で、それは《関係の絶対性》をいいきるちからともどこかつながってくるんじゃないかとおもうんです。いいきることで逆説的に《関係の絶対性》を抜け出る、超越するちからです。問答形式にならないような構造、「似ている」といいきってしまうちから。《関係の絶対性》を抑圧せずに、あさらさまに暴露し、うらがえしてしまうちから。
そこに十四字詩のパワーがあるんじゃないかともおもうんですよ。
最終的にはだからつぎのような問いかけになります。
イエス・キリストは酢豚やチャーシュー麺とどのような関係性をもつといえるのか?
部屋の余白と争っている 佐藤みさ子
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