【こわい川柳 第八十二話】隠喩の病人-石部明-
- 2015/09/19
- 00:20
縊死の木か猫かしばらくわからない 石部明
【病としての隠喩】
今回の話は、川柳においては隠喩(メタファー)が失調しているのではないかという話です。
たとえば石部さんのこのよく引用される句。
どういうふうに読めばいいんだろうと長いあいだずっと考えていたんですが、これはひとつの読み方として《隠喩の機能不全》として読めばいいのではないかとおもったんです。
この句の難しいところは、「縊死の木」と「猫」はまったく似ていないということです。似ていないのだけれども、語り手は「しばらくわからない」ほどにそのふたつの《類似》にとまどっています。この世界では、隠喩という《類似》の機能が壊れているのです。
このような句はやはり柊馬さんの有名なこんな句にも見いだせるとおもいます。
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬
もちろん、「妖精」は「酢豚」に似ていません。カラフルであるという点において強引に言えば似ているかもしれないけれども、「絶対似ている」と言い切ってしまう点においてここにおいても隠喩=類似の機能は失調しているようにおもいます。
そこからなかはらさんのこんどはこんな句につなげることもできます。
えんぴつは書きたい鳥は生まれたい なかはられいこ
どうしてこのような世界にとっては所与とされている《あたりまえ》な《叙述》そのものが川柳そのものとなってしまうのかといえば、それはそもそも川柳の世界においては隠喩機能が失調しているからではないかとおもうんです。
ですから、このなかはらさんの句というのは、《隠喩の回復》を詠んでいるのではないかとおもうんですね。
えんぴつ=書くもの、鳥=生まれるもの、という気づきです。気づきという回復です。この句は、隠喩の病がはびこる川柳空間だからこそ、意味をもつのではないかとおもうのです。
川柳の世界では隠喩は壊れているから、それがひとつの同一化できない《おもしろさ》となっていて、その川柳の空からは、名付けられないもの、名付ける以前のものが、ばらばらと絶え間なく降ってくるのです。
おもしろい空だいろいろ降ってくる 新家完司
【病としての隠喩】
今回の話は、川柳においては隠喩(メタファー)が失調しているのではないかという話です。
たとえば石部さんのこのよく引用される句。
どういうふうに読めばいいんだろうと長いあいだずっと考えていたんですが、これはひとつの読み方として《隠喩の機能不全》として読めばいいのではないかとおもったんです。
この句の難しいところは、「縊死の木」と「猫」はまったく似ていないということです。似ていないのだけれども、語り手は「しばらくわからない」ほどにそのふたつの《類似》にとまどっています。この世界では、隠喩という《類似》の機能が壊れているのです。
このような句はやはり柊馬さんの有名なこんな句にも見いだせるとおもいます。
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬
もちろん、「妖精」は「酢豚」に似ていません。カラフルであるという点において強引に言えば似ているかもしれないけれども、「絶対似ている」と言い切ってしまう点においてここにおいても隠喩=類似の機能は失調しているようにおもいます。
そこからなかはらさんのこんどはこんな句につなげることもできます。
えんぴつは書きたい鳥は生まれたい なかはられいこ
どうしてこのような世界にとっては所与とされている《あたりまえ》な《叙述》そのものが川柳そのものとなってしまうのかといえば、それはそもそも川柳の世界においては隠喩機能が失調しているからではないかとおもうんです。
ですから、このなかはらさんの句というのは、《隠喩の回復》を詠んでいるのではないかとおもうんですね。
えんぴつ=書くもの、鳥=生まれるもの、という気づきです。気づきという回復です。この句は、隠喩の病がはびこる川柳空間だからこそ、意味をもつのではないかとおもうのです。
川柳の世界では隠喩は壊れているから、それがひとつの同一化できない《おもしろさ》となっていて、その川柳の空からは、名付けられないもの、名付ける以前のものが、ばらばらと絶え間なく降ってくるのです。
おもしろい空だいろいろ降ってくる 新家完司
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