【短歌】毎日新聞・毎日歌壇 加藤治郎/米川千嘉子 選・9月21日(月)
- 2015/09/21
- 07:22
鬣の漢字のなかで待ち合わせ ×のあたりで拾うハンカチ 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇・加藤治郎 選・9月21日(月))
どんなに厳密に待ち合わせしても会えなかったり、なんとかお互いに理解しあおうとしてもわかりあえなかったりすることが、おおい。
なんでだろうわたしがわるいのかな、それとも構造がわるいのかな、とおもって、じゃあ構造かもしれないな、とおもい、わたしは構造を組み換えるために反対にやってみようとこころみる。
別れたゆうじんがこんなことばを残していったからだ。
うまくゆかないときは反対にやってみなさい。さすれば、門はひらくだろう。
そのことばをきいたときは「さすれば」のあたりが気になったが、でもわたしは、いずれそのことばのとおりにやってみるよとそのときゆうじんにいったようなきがする。反対にやってみるよ、と。
つまり、待ち合わせのときにあえて待ち合わそうとしなかったり、理解しあわなくちゃならないときに最初(はな)から投げ出してみる。
そうするとかえって、うまくゆくことがあると、ゆうじんはいったのだ。
でもじっさいにやってみると、ほんとうにあなたにあえなくて、切実にあなたと理解もしあえなくて、わたしは、長い時間を経たあとで、ようやくきがついてしまう。
だめじゃないか、と。
「さすれば」なんてことばを使うひとのいうことなんかきいちゃだめだったんだと、わたしは、そのときはじめておもうのだ。
なぜ、ゆうじんは、「そうすれば」といわなかったのか。
さよならをするときに、ゆうじんは、ちらっとわたしのてをなでた。そして重力にひかれるようにして、わたしの前で、おもむろに、それでも飛ぶようにして、たおれたのだ。すこし、かすかに、わらったあとで。
まあ、ただ、こけただけだったんだけれど。
お互いにわかりあえない草原で暮れるまでするバドミントンよ 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇・米川千嘉子 選・9月21日(月))
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